「竹内文書」の真相(49)
(49)釈迦族とスキタイ 謎を解くということは、名の素を解くことだ。釈迦族の素性を探るにあたって、改めて名前に注目してみたい。「釈迦→シャーキャ」とは、サンスクリット語で「力ある者」という意味である。一説に「シャーキャ樹」という樹木名に由来するという。偶像崇拝が禁じられていたため、原始仏教で釈迦を樹木で表現したのには、ここに大きな理由がある。...
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(50)前方後円墳とマナの壺 征服王朝は、自らの権力を誇示する。征服民に見せつけるために、形で絶対的な権力を表現する。栄耀栄華を極める壮大な宮殿はもちろんだが、一族の力を最も表すのは、王墓である。生前から巨大な古墳を作らせることは、絶対的な権力を持つ者にとって必要不可欠な事業だった。...
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(52)釈迦は預言者 仏典に記された釈迦の生涯を見ていくと、不思議なことに、福音書に描かれたイエス・キリストの生涯と驚くほど似ている。 まず、釈迦の母の名前「マーヤー→摩耶」はイエスの母「マリア」に音感が近い。 マーヤーは釈迦の誕生を夢の中に現れた6本牙の白い象によって知らされるが、これはマリアの前に現れた大天使ガブリエルの受胎告知だ。...
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(53)釈迦の権現 日本における「キリストの墓」が復活したイエス・キリストの降臨の暗号ならば、「釈迦の墓」は何を意味するのか? 同様に解釈するならば、やはり釈迦の降臨であろう。死んだ釈迦は復活して、日本にも姿を現した可能性がある。...
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(54)モーセの墓 日本には「キリストの墓」や「釈迦の墓」ばかりか、なんと「モーセの墓」もあると「竹内文書」は語る。 場所は、現在の石川県羽咋郡にある宝達山。ここにある三つ子塚古墳群の一つに大預言者モーセが眠っているという。...
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(55)3つの「十戒石」と2つの「十戒石板」 「竹内文書」によると、モーセは何度も「十戒」を書いている。 最初の草案は天皇によって却下された。 一旦エジプトに戻って、今度は3つの「十戒」を石板ではなく石に刻んで奏上する。 12年の歳月の末、ようやく認められたが、それらをモーセは持ち帰ることなく、エジプトに帰還し、改めて「十戒石板」を作ったという。...
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(56)アロンの杖 出エジプトを経て、イスラエル人がカナンの地へと至る約40年の間に、モーセによって3つの聖なる神器が聖定されている。 具体的には「モーセの十戒石板」と「アロンの杖」と「マナの壺」である。 同じくユダヤ教の流れをくむ日本の神道にも天皇の王権を象徴する「三種の神器」がある。 記紀によると、それらは「八咫鏡」と「ヤサカニノ勾玉」と「草薙剣」と呼ばれている。...
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(57)失われた契約の聖櫃アーク 本来、イスラエルの三種の神器は「契約の聖櫃アーク」という箱の中に収められていた。 契約の聖櫃アークとは、アカシア材で作られ、表面に金箔が貼られた箱である。 蓋には、翼を広げた一対の天使ケルビム像が置かれ、そこに絶対神ヤハウェが顕現する。 下には2本の棒がつけられ、祭司が担いで運ぶようになっている。 いわば、日本の神道でいう「神輿」のようなものである。...
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(58)イスラエル・コード「秦」と「秦始皇帝」 インドを超えると、そこはオアシス国家が点在する西域である。 中国において、もっとも西にあったのが「秦」である。 秦は中国を意味するチャイナやシナ、チンやシンの語源でもあるが、ここに住む人々は漢民族ではない。彼らは馬を飼う遊牧民族であり、定住して農耕を生業とする漢民族からは同族と見られていなかった。...
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(59)徐福は契約の聖櫃アークを手にしたのか? 極めて短期間で中国全土を統一した秦始皇帝であるが、その死後、急速に国が衰退していく。 紀元前210年、亡くなった秦始皇帝を継いで、息子の胡亥が2世皇帝を名乗るも、政治能力は無きに等しかった。重臣は排除され、最後は自害する。続く子嬰は皇帝の名を返上し、秦王を名乗るものの、最後は項羽の軍の前に散った。樹立から、わずか15年で、秦帝国は滅亡した。...
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(61)二つの契約の聖櫃アーク 契約の聖櫃アークは非常に危険である。 「旧約聖書」によると、略奪したペリシテ人たちに疫病などの災いをもたらし、恐怖した彼らはイスラエル人に返却したほどだ。 威力は絶大で、エリコという町の周りを担いで回っただけで、城壁が崩れ去ったこともある。 ゆえに、取り扱いは常に慎重にしなければならない。...
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(64)二人のモーセと復活体 契約の聖櫃アークを作らせたのは大預言者モーセである。イスラエルの三種の神器もまた、モーセの時代にできた。契約の聖櫃アーク及びイスラエルの三種の神器はモーセ管理下にあるといっても過言ではない。...
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(65)大預言者モーセの子孫と天皇 契約の聖櫃アークは現在、伊勢神宮の内宮の地下殿にある。伊勢神宮の関係者の中には、これを目にした人がいる。彼は日本にあってはいけないものを見てしまったといい残し、その日の内に神職を辞して隠居してしまったと聞いている。...
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(67)神道とユダヤ教 籠神社がある丹後には徐福伝説がある。はるか昔、大陸を出航した徐福は、舟屋で知られる伊根町の新井崎に上陸したといい、今でも新崎神社で神として祀られている。 徐福の歴史は、浦島太郎伝説として語り継がれている。徐福集団の子孫は、今日の海部(あまべ)氏となった。よって、海部氏が奉齋してきた籠神社の極秘伝の起源は、徐福に始まるといって過言ではない。...
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(68)造化三神の法則 原始キリスト教はユダヤ教神秘主義カッバーラの奥義を中心に据えている。 カトリックやギリシャ正教、更にはプロテスタント諸派の神学ではない。 根本的に違うのは絶対三神の概念である。 「御父と御子と聖霊」の存在を認めるが、それらが三位一体の唯一絶対神であるとは考えない。 あくまでも、三位三体にして三体同位。独立した絶対神が一つの神界を形成していると説く。...
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