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「竹内文書」の真相(68)

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(68)造化三神の法則

 原始キリスト教はユダヤ教神秘主義カッバーラの奥義を中心に据えている。

 カトリックやギリシャ正教、更にはプロテスタント諸派の神学ではない。

 根本的に違うのは絶対三神の概念である。

 「御父と御子と聖霊」の存在を認めるが、それらが三位一体の唯一絶対神であるとは考えない。

 あくまでも、三位三体にして三体同位。独立した絶対神が一つの神界を形成していると説く。

 しかも、御父なる絶対神が違うのだ。三位一体を正当とする神学では、御父を絶対神ヤハウェだとする。御子イエス・キリストは、御父ヤハウェの一人子だと定義しているのであるが、これが問題なのである。

 原因は、紀元前7世紀に、南朝ユダ王国のヨシヤ王によって行われた宗教改革にある。この時、カッバーラの奥義が封印され、ユダヤ教は唯一神教となった。絶対神ヤハウェ以外に神は存在しないと規定されてしまったのである。

 しかし、古代ユダヤ教には多神教の概念があった。今でも、ヘブライ語の尊敬複数形に、その痕跡を見ることができる。尊敬する対象を表現すると時、名刺を複数形にするのだ。同市や形容詞は単数形のままなので、文脈上、問題はない。神を意味するエルはエロヒムとなり、主アドンはアドナイとなる。複数形が尊敬の意味を持つ背景には、元々ユダヤ教は複数の神を崇拝していた事実があるのだ。

 御父に相当するユダヤ教の神は「エル・エルヨーン」と呼ばれる。至高神と云う意味である。エル・エルヨーンは、単に「エロヒム」と称されることもある。これらは厳密にヤハウェとは使い分けられていた。エル・エルヨーンの下にヤハウェが置かれ、時に絶対神ではなく、イスラエルの守護天使とみなされていた。

 ヤハウェは御父ではなく、御子の絶対神なのだ。事実、イエス・キリストは自らを称して「ある者だ」と述べている。「ある者」とは「旧約聖書でいう「ありてある者」、ヘブライ語の「エヘイエイ・エシュル・エヘイエイ」で、ここから三人称単数形の「ヤハウェ」という言葉が生まれた。

 つまり、イエスは自分はヤハウェだと名乗っているのだ。だからこそ、ユダヤ教徒たちの怒りを買い、最終的には十字架に磔にされてしまったのである。イエスが「ある者だ」と名乗ったエピソードは神学における問題の一つで、今でも論争の的になっているのは、三位一体説の限界を物語っている。

 最後の聖霊については、旧約聖書の中で、「コクマー」という名前で出てくる。「智恵」という意味である。ヘブライ語で霊を意味する「ルーハ」と同一視され、ギリシャ語の「ソフィア」と訳される。以上をまとめると、絶対三神と造化三神の関係はこうなる。

御父→エル・エルヨーン=エロヒム

御子→ヤハウェ=イエス・キリスト

聖霊→コクマー=ルーハ

 ユダヤ教神道における唯一絶対神は、記紀でいう天之御中主神=国常立尊だが、原始キリスト教神道になると、これが絶対三神となる。記紀にも、それがしっかりと反映されている。造化三神と元初三神である。これらをカッバーラの絶対三神に対応させると、こう整理できる。

御父→エル・エルヨーン=エロヒム→天之御中主神=国常立尊

御子→ヤハウェ=イエス・キリスト→高御産巣日神=国狭槌尊

聖霊→コクマー=ルーハ→神産巣日神=豊斟淳尊

 八百万の神々は、多次元同時存在の法則によって唯一絶対神に収斂した後、カッバーラにより改めて絶対三神として現れるのだ。多次元同時存在の法則に倣って、あえて命名するならば、「造化三神の法則」と言ったところか。記紀神話には、こうした仕掛けがいくつも施されているのである。


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