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「竹内文書の真相」(55)

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(55)3つの「十戒石」と2つの「十戒石板」

 「竹内文書」によると、モーセは何度も「十戒」を書いている。

 最初の草案は天皇によって却下された。

 一旦エジプトに戻って、今度は3つの「十戒」を石板ではなく石に刻んで奏上する。

 12年の歳月の末、ようやく認められたが、それらをモーセは持ち帰ることなく、エジプトに帰還し、改めて「十戒石板」を作ったという。

 まず、テキストとしての「十戒」と自然石に刻んだ「十戒石」、そして整形された石を使った「十戒石板」がある。

 まるで、「アイン」と「アイン・ソフ」、そして「アイン・ソフ・オール」と言う、カッバーラにおける創造の過程を象徴しているような印象を受ける。

 自然石と加工石の対比は、秘密結社フリーメーソンにおいては、野蛮で無知な状態から理性的人格者へ生まれ変わることを意味する。

 確認したいのは、「十戒石板」は2枚一組である。

 よくモーセが両脇に抱えている様子を描いた絵画を目にするが、かのように石板は2枚ある。

 次に、シナイ山でモーセが授かった「十戒石板」は二つある。

 2枚一組の「十戒石板」が2セットある。

 最初に授かった「原十戒石板」は絶対神ヤハウェが自ら刻み、しかも両面に文字が記されてあった。

 モーセは「原十戒石板」を携えて、シナイ山を下りてきたが、麓で待ち切れなかったイスラエル人が兄アロンに黄金製のアモンと言う名の子牛像を作らせ、これを祀り上げてどんちゃん騒ぎをしていた。

 事態を知ったモーセは怒り、持っていた「原十戒石板」を投げつけて、粉砕してしまう。

 偶像崇拝に走った者たちを厳罰に処し、モーセは再びシナイ山へと登る。

 イスラエル人の不貞を詫び、これを聞き入れた絶対神ヤハウェは、改めて「十戒石板」を与えられるのだが、前回と違う点がある。

 「原十戒石板」は絶対神ヤハウェが記したのに対して、次の「十戒石板」はモーセが刻んだ。

 しかも、文字が描かれたのは片面だけである。単純に考えて、内容が半分になってしまった。

 現在ユダヤ教徒が後生大事に保持する「十戒」は2回目に授けられた「十戒石板」がもとになっている。

 「原十戒石板」には何が記されていたのか?

 現物が粉砕された以上、その内容を知ることはできない。 

 皇祖皇太神宮に奉納された「表十戒石」と「裏十戒石」は、これら2枚の「原十戒石板」と「十戒石板」を暗示しているのか? 

 そうだとすれば、もう一つの「真十戒石」は何を指しているのだろうか?

 「新約聖書」には、モーセの律法を完成させたイエス・キリストが律法学者に答える場面がある。律法の中で一番重要かと言う問いに対して、イエスは次のように言う。

 第1の掟は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」であり、第2の掟は「隣人を自分のように愛しなさい」である。

 このニ戒に律法と預言者は基づいているというのだ。

 言い換えると、イエスはモーセも「十戒」を「二戒」にした。

 戒律にこだわるがあまり、その本質を見失ったユダヤ教徒らを諌めたのだ。

 決して律法をないがしろにしたわけではない。むしろ、成就するために、その本質を説いた。「律法のために人があるのではない。人のために律法があるのだ」と説いたたのだ。これを象徴したのが「真十戒石」ではないか。

 もし、これが正しければ、とてつもないことである。

 3つの「十戒石」については、贋作だという評判がもっぱらであり、それに一役買ったのが酒井勝軍であると研究家は指弾する。

 確かに、そうかもしれない。あえて真贋論争に踏み込むつもりはない。だが、八咫烏の指示で、竹内巨麿が画策した「竹内文書」と言う迷宮を解読するとき、そこから浮かび上がってくるのは、定説を根治から覆す恐ろしい歴史的事実である。

 「十戒石」が3つあり、それらが日本にある。「3」と言う数字に着目すると、浮かび上がってくるのはイスラエルの「三種の神器」である。


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