(66)「竹内文書」の中の絶対神ヤハウェ
世界宗教の開祖は、ことごとく日本にやって来て、皇祖皇太神宮で修行している。ユダヤ教やキリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、バラモン教、ゾロアスター教、儒教、道教など、全ては神道から派生したものである。したがって、本質は同じである。神様の名前や種類、戒律などは違えど、根幹にあるのは神道である。こうした思想を「万教帰一」という。特に古神道で、よく使われる言葉であり、大本教の聖師・出口王仁三郎も、万教帰一を強く主張したことで知られている。
確かに「旧約聖書」を聖典とするユダヤ教とキリスト教、そしてイスラム教の絶対神は同一である。この世を創造したのは唯一絶対神ヤハウェだとされている。最も、キリスト教の場合、若干、教義が異なっており、唯一絶対神は「御父と御子と精霊」という3つのペルソナを持った三位一体の神だと解釈される。
実に多くの神々を語る「竹内文書」であるが、絶対神ヤハウエに似た神がいる。天神第5代「天一天柱主大神躰光神」、別名「天真柱神」である。「天一」という言葉にあるように、唯一神が強く意識されている。古史古伝研究家の佐治芳彦氏は、大地を地美と名付け、造化造美乃長官や国万造主大神、天日万言造主大神を産んだことなどを挙げて、天一天柱主大神躰光神について、地球的意味での創造神であると指摘する。
実際、「竹内文書」にまつわる伝承によると、この天一柱主大神躰光神は上古第2代「造化気万男身光天皇」と融合し、絶対神ヤハウェとなったというのだ。
いやそれだけではない。もう一人いる。天神第7代「天御光太陽貴王日大光日大神」と併せて、三位一体の神だというのである。しかも、この天御光太陽貴王日大光日大神、別名が「メシア」とある。ユダヤ教のメシアやイスラム教のイマムは人間であるが、神性を考慮すると、救世主メシアのことだろう。キリスト教でいうイエス・キリストに他ならない。
仮に、カトリックの神学でいう三位一体説に従うなら、これら3人の神々は絶対三神「御父と御子と聖霊」に対応できる。
御父→ヤハウェ→天一天柱大神躰光神
御子→イエス・キリスト→天御光太陽貴王日大光日大神=メシア
聖霊→ルーハ→造化気万男身光天皇
「竹内文書」の伝承では、三位一体説を認めていない。三位一体とは、後世の神学者が考えたもので、本来は3人の神々及び天皇だったものを唯一神に無理に仕立てようとした結果に過ぎないという。
しかし、視点を変えれば、「竹内文書」の真骨頂が隠されている。キリスト教の三位一体説は間違っているが、ユダヤ教神秘主義カッバーラの奥義「絶対三神唯一神会」をもってすれば、これら「竹内文書」の三神人は、神道の秘密を解き明かす重要な鍵となるのだ。
丹後の籠神社は内宮と下宮、両方の元伊勢である。そのため、本伊勢とも称す。日本最古の神社だといって過言ではない。籠神社には、他の神社には伝承されていない秘密の歴史と教えが存在する。つまり、籠神社極秘伝である。
その一つが「多次元同時存在の法則」である。神道は多神教である。八百万の神々を祀っている。唯一神を崇拝するユダヤ教やキリスト教、イスラム教徒は対極にある宗教だとされる。しかし、それは表の神道であり、裏の神道は違う。仏教でいうところの顕教に対する密教が神道にも存在する。裏神道の密教を理解する手掛かりが、多次元同時存在の法則である。
詳しくは省略するが、籠神社の祭神である天火明命は正式名を「天照国照彦天火明櫛ミカ玉ニギ速日尊」と称す。この中に含まれている「天照」「国照彦」「天火明」「櫛ミカ玉」「ニギ速日尊」は、それぞれ独立した「天照大神」「国照彦命」「天火明命」「櫛ミカ玉大神」「ニギ速日尊」として記紀神話に登場し、各地の神社で祀られる。こうして、一人の神から5人の神々が生まれ、別々の神格として人々の前に語られることになる。
結果、神道の神々は八百万の神々を祀るようになった。よく神道はアニミズムから発生したと説明されるが、実際は真逆である。奈良時代以前の神道は一神教だった。これが籠神社の極秘伝なのだ。籠神社の宮司であった海部氏は著書「元初の最高神と大和朝廷の元始」で、古代の神道には元初の最高神という唯一神の概念があったこと述べている。したがって、「竹内文書」に記された天神や上古天皇の物語を神話と解釈し、多次元同時存在の法則を適用すれば、全ての神々と上古天皇は一人の神へと収斂し、気が遠くなる年月も一気に短縮され、現実的な時間の概念としてとらえ直すこともできる。