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「竹内文書」の真相(51)

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(51)失われたイスラエル10支族

 大国主命との類似性を指摘されるヨセフは古代エジプトの宰相となり、後に両親と兄弟を厚遇し、彼らの子孫は繁栄する。ヨセフの兄弟で男性は、それぞれ「ルベン」「シメオン」「レビ」「ユダ」「ダン」「ナフタリ」「ガド」「アシェル」「イッサカル」ゼブルン」「ベンヤミン」であり、彼らはみな一族を形成するのだが、レビ族だけは祭司として聖別され、代わりにヨセフの息子である「マナセ」と「エフライム」が独立して、二つの支族を作る。

 時は流れ、いつしかイスラエル人は奴隷階級に落とされて苦しんでいたところへ、大預言者モーセが現れて、同胞を引き連れてエジプトを脱出する。40年間、荒れ野を彷徨った後、ついに約束の地カナンへとたどり着き、紀元前1025年、古代イスラエル王国を樹立する。サウル、ダビデ、そしてソロモン王の時、栄耀栄華を極めたが、息子の代になって王国は分裂する。紀元前925年、ユダ族とベンヤミン族からなる南朝ユダ王国と残る10支族から構成される北朝イスラエル王国が誕生する。

 さらに、偶像崇拝など、絶対神ヤハウェの教えに背く北朝イスラエル王国に天罰ともいえる危機が迫る。メソポタミア地方を支配しようと目論むアッシリア帝国が台頭し、北朝イスラエル王国に攻め込んだ。紀元前721年、抵抗むなしく滅亡する。王族を中心にして人々はアッシリア帝国に奴隷として連行される。これを「アッシリア捕囚」という。

 そのアッシリア帝国もまた、紀元前7世紀末には衰退の一途をたどり、メソポタミアの覇権を新バビロニア王国に明け渡す。末期は、かなり秩序が崩壊していたらしい。北方から波状的に騎馬民族が侵入してきたのだ。そう、スキタイである。彼らにとって金品はもちろんだが、最も重要な戦利品は人間である。勢力を拡大するにあたって、有能な人間を積極的に登用する。

 時期を同じくして、歴史上から姿を消すのがアッシリア捕囚で連行されたイスラエル10支族である。彼らの行方が分からない。当時の記録には全く記されていないのだ。ただ唯一、紀元1世紀の歴史家フラヴィウス・ヨセフスは著書「古代ユダヤ誌」の中で「10支族は今でもユーフラテス河の彼方におり、膨大な民衆となっている」と書き記しているのみである。

 膨大な数になっていながら、その行方が分からない。ユーフラテス河の向こうという漠然とした表現だけで具体的な場所はない。なぜか? 彼らは定住していなかった。というよりも常に移動していたからだ。遊牧騎馬民族となってきたアジアに広がっていた。そうさせたのはスキタイである。スキタイがアッシリア帝国末期に、捕囚されていたイスラエル10支族を引き抜いたのである。

 こうしてスキタイ系騎馬民族に吸収された失われたイスラエル10支族は自らも遊牧騎馬民族となって、北アジア一帯に広がった。一部はサカ族となってインドへと侵出して釈迦族となった。また、別の一軍は東へと向かい、扶余族と合流し、朝鮮半島を経由して、日本列島へと渡来する。そして、邪馬台国を征服して、大和朝廷を開いた。

 この仮説を裏付けるのが、Y染色体である。現在、世界中に散らばっているユダヤ人は、南朝ユダ王国の流れである。かっては、失われたイスラエル10支族とともに、同じ古代イスラエル王国を築いていた同族である。彼らのY染色体を調べると、どこの集団にも、必ずハプログループEが見いだされる。

 日本人特有のY染色体はハプログループDである。Dグループは朝鮮半島や中国には見られず、チベットやネパールにはある。今日のシャーキャ族も同様だ。したがって、日本人と、釈迦族は遺伝子が同じグループを持つ。

 ハプログループは数あれど、DとEグループには、Y染色体の一部に特徴的な変異が見られる。これを専門的に「YAP」という。両者に共通して見られるということは、先祖が同じであることを意味している。日本人及び釈迦族とユダヤ人は同祖なのだ。

 仮に、太祖がヤコブだとすれば、ともにイスラエル12支族であり、遠い昔に生き別れた同胞の末裔だったことを意味する。釈迦も日本人もイスラエル人の末裔だったのである。


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