「竹内文書」の真相(9)
(9)「竹内文書」への弾圧 あまりにも衝撃的な内容だったゆえ、「竹内文書」はアカデミズムから偽書と断定された。のみならず、皇室に対して不敬であるとして、当局から弾圧を受けた。 1936年、「竹内文書」を継承してきた皇祖皇太神宮の神職であった竹内巨麿は不敬罪容疑で逮捕され、かつ貴重な古文書類と宝物などを没収されてしまう。裁判は長期化し、ついには最高裁である大審院にまで持ち込まれる事態となった。...
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(11)「正統竹内文書」と南朝・竹内神道の謎 歴史は常に勝者のものゆえ、敗者の記憶は闇に埋もれていく。異端の古史古伝には、みな権力闘争に敗れた者たちの怨念がこもっている。...
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(12)後南朝 北朝の光明天皇は足利尊氏が擁立したもので、その王権を裏付けるレガリア、すなわち三種の神器は偽物である。そうとなれば、天皇としての正当性は南朝にあるというのが、後醍醐天皇の主張である。南朝の忠臣、北畠親房は関東において勢力の結集を図り、南朝の正当性を示す「神皇正統記」を著す。...
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(13)「竹内文書」と南北朝 偽書が大量に作られるようになるのは鎌倉時代以降である。歴史学的に、古史古伝は用語の分析などから、主に近世に記されたと言われている。少なくとも、今日、目にすることができるテキストのほとんどは江戸時代後期、もしくは明治時代以降の作である。...
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(14)第73世・武内宿祢 アカデミズムにおいて「竹内文書」は偽書扱いである。神代文字はもちろん、書かれている文体や言葉遣いが近世のものであり、決して古代に遡ることはない。ましてや、現代になって付けられた外国の地名が登場することに至っては、歴史学的な検証に耐えられるはずもない。こうした状況に常々、義憤を感じてきた男がいる。...
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(15)正統竹内文書と南朝 竹内睦泰氏によると、「正統竹内文書」は正式には「南朝小倉宮正統竹内文書」と称すらしい。つまり、南朝である。歴史的に後南朝である「小倉宮」の名前を冠しているのだ。理由は、南朝小倉宮家の末裔でもあるからだ。...
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(17)竹内巨麿の謎 竹内巨麿は実に奇妙な人物である。武内宿祢の第66代目の子孫だと称し、時に自らを「宿根」と名乗った。文字が「宿祢」ではなく「宿根」になっているあたり、気になるところである。...
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(18)御嶽教と天津教 竹内巨麿の伝記が講談だと指摘される要因の一つに仇討がある。母を襲って死なせた暴漢たちを見つけて仇を討つ。出生の秘密を知らされた厳太郎は、いつか母君の無念を晴らすと誓う。恩人である養祖父が亡くなった時、その思いを胸に故郷を後にする。...
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(19)修験道と役小角(えんのおづぬ) 天狗とは本来、流星のことであり、夜空を切り裂きながら地上に落ちて轟音を響き渡らせる姿は不吉の印とされた。日本では妖怪や魔物、鬼のような存在だと考えられ、その姿は、なぜか例外なく山伏の格好をしている。山の中で修業をし、妖しい呪術の使い手である山伏は異形の存在であり、その風貌も異人を連想させる。...
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(20)裏天皇 裏の陰陽道、迦波羅の使い手である漢波羅の秘密組織「八咫烏」は、基本的に鴨族から構成される。八咫烏である賀茂建角身命の子孫である賀茂氏、中でも神道祭祀を司る鴨族の秘密結社が八咫烏である。 この組織は今もある。多くの国民が知らないだけで、有史以前から、この国に厳然と存在し続けてきた。...
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(21)鞍馬天狗と八咫烏 下鴨神社と上賀茂神社の社紋、いわば神紋は「双葉葵」である。葵は中国で「鴨芹草」と呼ばれる。鴨が好んで食べる草なのだ。鴨族が自らが奉斉する神社の神紋として葵を選んだ理由は、そこにある。したがって、葵を神紋とする神社は、すべて鴨族の直接の支配下にあるということである。...
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(22)竹内巨麿の八咫烏会見 飛鳥昭雄氏は20歳のころ、京都の加茂川のほとりを歩いているとき、最初に出会って以来、定期的に八咫烏と会っているという。詳しいことはわからないが、彼らの占術によって飛鳥氏が選ばれたのだろう。いつも上から目線で接し、こちらの器量を推し量ってくる姿は、決して愉快なものではないという。しかし、その都度、重要な情報をもたらし導いてくれるという。...
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(23)創造科学 古史古伝「竹内文書」を読み解くにあたって、鍵となるのは「聖書」である。もとになった「八咫烏秘記」のベースが「聖書」である以上、これは絶対である。...
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(24)ノアの大洪水 古史古伝と超古代史の違いは何か? 古史古伝研究家の佐治芳彦氏は地球的な激変が一つの目安だと考える。 歴史学でいう時代区分とは別な神話時代、あるいは「ノアの洪水以前の時代」だと一括していいのではないかと言う。実に卓見である。 確かに「竹内文書」には地球的な規模の天変地異の記述がある。...
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(25)超大陸パンゲア 地球全土が水没することなどありうるのか? 現在、南極や北極、更には大陸等にある氷河がすべて溶けたとしても、世界の陸地が水没しないことは計算上分かっている。 直感的に、標高8000mを超えるヒマラヤ山脈が海面下になることなどありえない。 だが、ノアの大洪水以前の地球が今よりも小さかったとしたら、どうだろうか?...
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(27)五色人 超古代アスカ文明の人種について「竹内文書」には非常に興味深い記述がある。 地球上には「五色人」がいたというのだ。五色の色とは肌の色のことである。白人と黒人、更には黄人とくくられる有色人種の他、北欧系の人種を青人、アメリカ先住民らを指して赤人と呼ぶ。...
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(28)超古代の飛行機 超古代アスカ文明には、非常に高度な科学技術が存在した。「竹内文書」によると、超古代の天皇は「天浮船」に乗って全世界を巡幸していたと記されている。「天浮船大空乗公運(のりあるき)尊 天空船、水船を造る」(「神代の万国史」第1編9章 上古第1代)「万国家屋を作らしむ教官任ず。天皇皇子神通力行、日の内に数万里ゆく事普通」(「神代の万国史」第1編12章 上古第4代)...
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