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「竹内文書」の真相(21)

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(21)鞍馬天狗と八咫烏

 下鴨神社と上賀茂神社の社紋、いわば神紋は「双葉葵」である。葵は中国で「鴨芹草」と呼ばれる。鴨が好んで食べる草なのだ。鴨族が自らが奉斉する神社の神紋として葵を選んだ理由は、そこにある。したがって、葵を神紋とする神社は、すべて鴨族の直接の支配下にあるということである。

 京都の古い神社でいえば、同じく葵祭を行う松尾大社や日吉大社、木嶋坐天照御魂神社のほか、貴船神社がある。貴船神社には鞍馬がある。向かいの山を登れば、そこは鞍馬寺の境内だ。途中、奥の院があり、牛若丸は、ここで鞍馬天狗の指導のもと修行に励んでいた。

 つまり、鞍馬天狗の正体は、八咫烏である。大天狗は金鵄であり、裏天皇なのだ。配下の烏天狗は漢波羅秘密組織の八咫烏なのである。実際、彼らは自らのことを烏天狗と称すこともある。

 鞍馬天狗は八咫烏として実在する。牛若丸を育てたのも八咫烏である。源義経が活躍できた裏には、八咫烏の存在があったからである。歴史的に衣川の合戦で敗れた義経は死んではいない。密命を帯びて、北方に逃げ延びている。裏で支援をしていたのは八咫烏及び配下の鴨族であり、修験者だった。

 鞍馬天狗は漢波羅秘密組織ゆえ、はるか古代から現代まで存続する。竹内巨麿が鞍馬で教えを受けた神霊も、実際は鞍馬天狗であり、八咫烏だったのである。複数の八咫烏らと接触し、ついに秘伝の書の存在に気付いた。おそらく八咫烏のほうから、積極的に古文書の存在を教えたのではないかと思われる。それが「真竹内文書」に他ならない。

 正史「日本書紀」とは違い、「古事記」は天皇家の私的な歴史書だとされる。古代豪族には、それぞれの「古事記」が存在したとされる。「古事記」は編纂に当たった太安万侶の一族、多氏に伝わる「多氏古事記」がもとになっているという説がある。したがって、本来の「天皇古事記」は、別に存在するという説もある。

 事実、あるのだ。「天皇古事記」は八咫烏が継承している。ただし、書名は「古事記」ではなく、「八咫烏秘記」と称す。八咫烏が裏天皇として神道界の裏で君臨できるのは、ひとえに本当の歴史を知っているからである。門外不出の「八咫烏秘記」を手にしているからである。

 飛鳥昭雄氏は八咫烏の導きにより、裏皇后に謁見したことがあるという。そこで内密に「八咫烏秘記」を拝見させてもらったという。おそらく全部ではないだろうが、その場にあったのは3つの巻物であったという。それぞれ「天地開闢」と「始馭天下之天皇」と「聖徳太子」と言う表題が記されていたという。天地開闢とは、この世の初めから倭国、すなわち日本国成立までの記録であり、始馭天下之天皇は初代・神武天皇の素性と大和朝廷が開いた歴史、そして「日本書紀」に未来を予言したと記されている聖徳太子の正体と業績が記されている。

 いずれも本文は漢字で書かれており、神代文字らしきものは見当たらない。ただ、恐ろしく難解な文章であり、用語の使い方から写本する過程で、時代に合わせて意訳していると思われる部分も見受けられた。見分に当たっては側近である巫女に文章を読んでもらった。彼女は、よどみなく原文を読み下し、かつ内容を的確に現代語にしていく。

 興味深いことは「八咫烏秘記」の内容は「古事記」と大きく異なることである。スケールが全く違うのであり、時間や空間、物語の奥深さは次元が違う。そのまま世に出したら古史古伝ではないかと思うだろう。

 ある意味、それは正しい。なぜなら、世の古史古伝の原典は、何を隠そう、こん「八咫烏秘記」なのである。「八咫烏秘記」は「真竹内文書」なのだ。南朝の流れを汲む秘密結社、竹内神道の「正統竹内文書」もまた、遡れば「八咫烏秘記」に行きつく。「正統竹内文書」の雑伝を耳にして「竹内文書」を書いたというよりは、ダイレクトに竹内巨麿は「八咫烏秘記」を目にしているのである。


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