(20)裏天皇
裏の陰陽道、迦波羅の使い手である漢波羅の秘密組織「八咫烏」は、基本的に鴨族から構成される。八咫烏である賀茂建角身命の子孫である賀茂氏、中でも神道祭祀を司る鴨族の秘密結社が八咫烏である。
この組織は今もある。多くの国民が知らないだけで、有史以前から、この国に厳然と存在し続けてきた。
漢波羅秘密組織「八咫烏」は実在するが、存在しないことになっている。彼らには名前が無い。ゆえに戸籍がない。皇室の方に戸籍が無いように、彼らも国民ではない。名前が無いため、誕生することもなく、死んだとしても、そもそも初めから存在しない。名に縛られることなく、自由に日本列島を飛び回る。それが八咫烏なのだ。
構成人数は70人。烏ゆえ70羽と称す。その上に12人からなる上部組織「十二烏」がある。彼らは特別に「大烏」と呼ばれる。中でも上位3人は「金鵄」と言う称号を持つ。金鵄とは神武天皇の弓矢の先に止まった霊鳥で、金色に輝く八咫烏、すなわち「金烏」と同一視される。
さらに、3人の金鵄は、一人の「裏天皇」を構成する。陰陽道からすれば、天皇もまた陰陽、表と裏はいる。表が今上天皇ならば、裏は金鵄なのだ。様々な事情で表の天皇陛下が執行できない神道儀式を代わって全て行うのが裏天皇の使命である。天皇陛下が行う儀式の多くは、公表されることはないが、同様に、裏天皇が行う儀式は、全て密儀であり、非公開である。
もちろん、天皇だけではない。皇后にも裏皇后がいる。天皇が神道の祭主であるように、皇后は巫女である。裏皇后は女性の八咫烏であり、全ては巫女、霊的な能力を備えている。中には、齢数百年を超える者もいる。まさに現代における「八尾比丘尼」である。その意味で漢波羅秘密組織「八咫烏」は文字通り「裏皇室」なのだ。
仏教には宗派がある。それぞれに総本山がある。しかし、神道は一つである。神道の元締めは天皇である。仏教において、全国にある寺院は総本山が管理している。総本山の寺院が頂点である。同様に、信者にも神宮や大社など序列がある。一般に最高位の神社は伊勢神宮だと思われている。内宮と下宮、別宮など、125社から成る伊勢神宮は規模からいっても日本最大だといえる。ただ単に「神宮」と言えば、伊勢神宮を指す。まさにザ・神宮なのだ。
しかし、意外なことに、歴代の天皇は伊勢神宮に参拝していない。勅使は参拝しているが、、直接、天皇は参拝していない。参拝するようになったのは、明治天皇以降のことなのだ。神道の最高権威である天皇が参拝しない理由は、諸説あるが、果たして伊勢神宮は神道における最高位の神社なのだろうか?
「祭」と言えば、「葵祭」のことを意味する。なぜなら、葵祭は天皇家の祭だからである。葵祭は天皇家の皇女が巫女、すなわち斎主として京都の下鴨神社と上賀茂神社へと巡幸する祭礼だ。京都の内裏に住まう天皇家にとって非常に重要な祭なのだ。
葵祭を取り仕切るの賀茂氏、すなわち鴨族である。彼らが奉仕する下上賀茂神社こそ、実は、神道における最高位の神社なのである。二つの神社はともに天皇家に最も近い神社である。鴨族の言葉によると、上賀茂神社 の鴨族は内裏の外陣を守護する。下鴨神社の鴨族は内陣を司る。大嘗祭はもとより、天皇が行う秘儀は、全て下上賀茂神社の鴨族が取り仕切る。様々な事情で天皇が儀式を執行できない場合でも、重要な秘儀は裏天皇である金鵄が担うことになっている。
もし仮に天皇の身に危険が及ぶ可能性が出た場合、鴨族が動く。秘密の抜け道を通って天皇の身を聖護院に移す。そこから身内が仕切る神社や寺院を転々としながら、修験道の山道を通り、最終的に吉野にお連れすることになっている。
7世紀の壬申の乱において、当時、大海人皇子であった天武天皇は出家して吉野に下った。 手助けしたのは、鴨族である。鴨族の配下にあった修験者たちが協力して、吉野へと導いたのだ。そこは八咫烏の本拠地でもある。
そのため、天皇家が分裂すると、必ず一方は紀伊半島に入り、吉野を目指す。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野朝を開いたのも、バックには鴨族及び八咫烏がいたからである。 三種の神器と言う王権のレガリアを手にしている南朝こそ正しい。八咫烏の立場ははっきりしている。