(77)まとめ
竹内巨麿が世に送り出した「竹内文書」を所蔵する「皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)」は普通の神社ではない。良くも悪くもスタンダードな神社としての韻を踏んでいない。
例えば、皇祖皇太神宮は神々及び超古代天皇の皇后を祀っている。
初代皇后を「天一美柱神皇后」とし、それ以降のすべての皇后を奉っている。全皇后を祀る神社は皇祖皇太神宮しかない。
超古代天皇から今上天皇まで、その数、1293代。神功皇后を含めると1294代にまで及ぶ。
戦前、初代・神武天皇以前にも天皇が存在したと主張することは、それだけで不敬罪の対象だった。
「古事記」や「日本書紀」に記された神話は史実であり、異なる系譜を掲げることは重大な罪であるとされたのだ。
戦前の皇国史観からすれば、本来、天皇は世界の王である。
八紘一宇という思想のもと、世界を支配するのが天皇とされた
その意味で、超古代天皇が世界を全統治していたと語る「竹内文書」の主張は内容こそ異なれど、八紘一宇を正当化する意味で、弾圧まで行かなくとも、十分容認できるものだったはずだ。
しかし、かっての国家神道のドグマからすれば、初代天皇は神武天皇であり、犯すべからざる神聖な存在だった。それゆえに、特高警察は菊花紋を勝手に使用したかどで天津教を弾圧し、教祖である竹内巨麿を不敬罪で逮捕したのである。
裏を返せば、それだけ「竹内文書」は危険な書物だった。
ほかの古史古伝に対する見せしめもあったのだろう。おそらく、竹内巨麿自身も不敬罪に問われることを予想していたのに違いない。弾圧されることを承知で天津教を開き、「竹内文書」を公開したはずである。
すべてはアカデミズムの目を欺くためのトリックである。
よく指摘される現代の地名も、その一つ。歴史的な矛盾があることは誰の目にも明らかだが、あえてそうしたのだ。史実として分析されると、闇に葬られる危険もあったからである。指示したのは八咫烏である。八咫烏の戦略は実に巧妙である。
もう一つの「竹内文書」である「正統竹内文書」の存在も、然り。
第73世・武内宿祢にして、南朝小倉宮正統竹内文書伝承者である竹内睦泰氏が語る口伝もまた、その根源には「真竹内文書」である「八咫烏秘記」が存在する。
これは飛鳥昭雄氏が本人から直接聞いた話であるが、彼(竹内睦泰)にはカムフラージュの役目があるというのである。
いったい何を隠すためなのか?
いうまでもなく、それは「八咫烏秘記」である。
つまり、彼のバックにいる秘密結社「竹内神道」の正体も、おのずと見えてくるだろう。
八咫烏から聞き及ぶところによると、「八咫烏秘記」の存在が公開される日は、そう遠くない。
「竹内文書」から「正統竹内文書」、そして「真竹内文書」=「八咫烏秘記」が真打として登場する。
童謡「カゴメ唄」の大預言が成就する日は近い。「竹」でできた籠の「内」にいる「烏」という鳥が出てくるのだ。