(75)童謡「カゴメ唄」預言
誰でも子供のころ、一度は遊んだことがあるだろう。目隠しした鬼役の子供を中心に、輪になって囲んで、こう口ずさむ。
「かごめかごめ 籠の中のトリは いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀がすうべった 後ろの正面だあれ」
歌い終わると、周りの子供たちも一斉にしゃがむ。そして、鬼役の子供が後ろにいる友達の名前を当てる。その光景は、どこか呪術的な雰囲気も漂う。実際、シャーマンを養成しているのではないかという指摘もあるくらいだ。
童謡「カゴメ唄」は、その言葉と独特な響きのせいか、かねてから暗号が隠されているのではないかとされてきた。字義としては、籠の中のトリを遊女に見立て、哀れな身を同情しながら詠んでいると説明される。だからこそ、その裏に全く別の暗号が仕込まれているのではないかというわけである。
未だ行方のしれない徳川幕府の埋蔵金の在処が隠されているという話はよく聞く。だが、そうした歴史的な推理を度外視して、籠神社の極秘伝は次のように言う。
「童謡「カゴメ唄」は籠神社の隠し唄である」と。
そこで、カッバーラの象徴体系を手掛かりに、これを読み解くとこうなる。
まず、冒頭の「かごめかごめ」は「籠目」である。竹で編んだ籠の目は六芒星を形成している。六芒星の中に太陽と月を描いたものが籠神社の裏神紋である。それと同時に、六芒星はダビデの星であり、イスラエル人の象徴である。籠神社は古代イスラエル人によって創建された日本最古の神社であることを暗示している。籠神社の極秘伝からすれば、古代の神道は唯一神教であり、まさしくユダヤ教がもとになっている。いわば、この唄がイスラエル人によるカッバーラの暗号だと宣言しているのだ。
続く「籠の中の鳥」だが、これは「いついつ出やる」と期待されている。鳥籠の中の鳥で、囚われた遊女、もしくは埋蔵金の象徴とも思えるが、あくまでも神道の哲学を持って分析する必要がある。
「丹後国一宮深秘」には、かって天から鳥籠が降りてきて木の枝に止まった。光り輝く籠からは天女が現れたとある。同様の記述は「籠大明神縁起秘伝」にもあり、こちらは豊受大神の御神体だと記されている。伊勢神道において豊受大神は国常立尊と同一神である。多次元同時存在の法則からすれば、ユダヤ教の絶対神ヤハウェへと収斂し、そこから造化三神の法則によって、イエス・キリストへと帰結、最終的に天照大神へつながる。
事実、西の内宮に対する東の外宮の意味もあろうが、豊受大神を祀る「外宮」の「千木(ちぎ)」は外削ぎの垂直で男神を示し、「鰹木(かつおぎ)」も9本の奇数で男神を示している。
豊受大神=国常立尊=天之御中主神=ヤハウェ=イエス・キリスト=天照大神
天照大神を最高神たらしめているのは天岩戸開き神話である。
天照大神を鳥に見立てると、籠は天岩屋である。天岩屋という籠の中に入った天照大神が再び外に出てきてほしいという願いが込められているのだ。
ただし、言うまでもなく、天照大神は天岩屋から出てきて、イエス・キリストは墓の中から復活体となって甦った。
すでに人々の願望は成就しているはずなのに、なぜ、まだ願うのか?
期待されているのは、天照大神=イエス・キリストの神器である。
八咫鏡=十戒石板が収められた契約の聖櫃アークと血染めの聖十字架が日の目を見る。その時、日本がいかなる国なのか、世界中の人々が認識することになる。
唄にある「夜明けの晩」とは暁のころである。夜空にひときわ輝く一番星は明けの明星である。
「ヨハネの黙示録」の中で、イエス・キリストは自らを指して、「ダビデのひこばえ、輝ける明けの明星」だと宣言している。暗黒時代は過ぎ去り、新しい神の国の到来を告げているのだ。
「鶴と亀がすべった」の「すべった」とは「統べる」という意味である。鶴と亀に象徴されるものが統合されると解釈できる。問題は、鶴と亀が何かである。大前提として、鶴と亀は一対の縁起物である。聖なるものだと言えば、イスラエルの三種の神器が収められた契約の聖櫃アークである。
秦の始皇帝の時代、契約の聖櫃アークは二つの分けられた。八咫烏は贖いの蓋からなる表契約の聖櫃アークを鶴、本体の箱からなる裏契約の聖櫃アークは亀と呼んだ。表契約の聖櫃アークは秦人=ユダヤ人キリスト教徒の秦氏が担い、裏契約の聖櫃アークは徐福=東ユダヤ人の物部氏が保持し、最終的に失われたイスラエル10支族の神武=崇神=応神天皇によって統合された。