(74)大嘗祭と聖骸布及び「竹内」の暗号
カッバーラの視点からいえば、絶対三神のうち、聖霊を受けると言った方が正確である。
大嘗祭においては、天皇は天照大神と食事する。これは、「新約聖書」における「最後の晩餐」である。天皇はイエス・キリストと最後の食事をともにすることで、自らが原始キリスト教徒であることを表明する。それに先立つ斎戒は、洗礼=バプテスマである。悔い改めと信仰表明、そしてバプテスマを行った後、聖霊の賜物が与えられる。これが天皇霊である。天皇霊と言う名の聖霊が降臨し、その身に宿ることで天皇は現人神となるのである。
大嘗祭に際しては、どうしても必要な品々がある。中でも「麁服(あらたえ)」は必須である。麁服なくば、大嘗祭ではない。麁服とは亜麻布である。ちょうど1着分の反物として捧げられる亜麻布である。着物にしていないが、これは死に装束である。死と復活の儀式のため、真っ白な亜麻布が用意されるのだ。
なぜ、これが着物の仕立てられていないのか? 理由は一つである。それは遺体を包む布であるからだ。十字架で絶命したイエス・キリストの遺体は亜麻布に包まれて墓に埋葬された。世にいう「聖骸布」である。現在、本物の聖骸布はイタリアのトリノ大聖堂に収められているが、これを麁服は象徴しているのだ。
本来ならば、大嘗宮の悠紀殿及び主基殿に入った天皇は天照大神と食事をした後、祭服を脱いで、そこにある麁服に身を包み、布団に横たわり、しばらくして起き上がることで、イエス・キリストの死と復活をなぞる儀式を行っていたはずである。
カッバーラの基本は見せながら隠すことにある。一番目立つところに、最も重要な秘儀がある。古史古伝「竹内文書」の場合、それはその名前にある。
「竹内文書」と言う表題は、もちろん武内宿祢に由来し、その子孫と称す竹内巨麿の竹内家にちなむ。「正統竹内文書」もまた、武内宿祢の伝承者及び秘密結社、竹内神道が名前のもとだという。
では、なぜ「武内文書」ではないのか? 武内宿祢に由来するならば、「竹内」ではなく「武内」とすべきではないか? 竹内睦泰氏によれば、鎌倉時代に武内氏は竹内氏と表記を変えたらしい。それは、「竹内」でなければならないためである。めでたいことの象徴である「松竹梅」を重ねるなら、「松内文書」や「梅内文書」もあっていいはずだが、それはない。なぜか?
よく歌舞伎の家元を指して「梨園」と称することがある。語源は中国の故事にある。唐の時代、玄宗皇帝が芸人を集めて音楽教習府を作った。教習府があった庭園には梨が植えられていたことから、転じて、歌劇団のことを梨園と称すようになった。日本でも、これに倣い、伝統芸能の家元を梨園と呼んでいる。
梨園と同じような言葉に「竹の園生(そのふ)」がある。これも中国の故事に由来する。北魏の時代、梁の孝王が竹をたくさん植えた庭園を作った。これを指して、日本では「竹の園生」と称し、皇族の異称とした。つまり、竹の園生とは天皇家のことなのだ。
よって、「竹内文書」とは、「竹の園生文書」を意味し、古代天皇家の秘密を記す古文書であることを示しているのだ。
しかし、これには、もう一つ深い理由がある。日本の神道祭祀で使われる文字には特別な意味がある。中でも重要視されるのは「艸冠」と「竹冠」の字がある。祭司一族は賀茂氏や藤原氏、花田氏など、艸冠を持つ字を名前に採用する。同様に、竹冠が付く神社もまた、特別な意味がある。そう籠(この)神社である。
「竹内」とは「籠神社の内」であり、「籠神社の中」のことを意味する。もっと言えば、「籠の中」を暗示しているのだ。一般には籠は竹で編まれる。その目は六芒星をしている。籠目、すなわちカゴメである。事実、籠神社の裏神紋は、六芒星の中に太陽と月が描かれている。
そして、カゴメと聞いて、日本人なら誰でも思い出すのが童謡「カゴメ唄」である。「カゴメ唄」は、籠神社の隠し唄、つまり暗号歌である。ここに日本の未来に関わる重要な預言が隠されているのである。