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「竹内文書」の真相(69)

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(69)天照大神=イエス・キリストの暗号

 「竹内文書」における三位一体神も、実際はカッバーラの絶対神として読み解く必要がある。

 対応に注意して、もう一度、整理し直すと、次のようになる。

御父→エル・エルヨーン=エロヒム→天一天柱主大神躰光神

御子→ヤハウェ=イエス・キリスト→天御光太陽貴王日大光日大神=メシア

聖霊→コクマー=ルーハ→造化気万男身光天皇

 ここで注目したいのは、メシアとも呼ばれた「天御光太陽貴王日大光日大神」である。

 文字から分かるように、太陽神である。神道における太陽神と言えば、最高神でもある天照大神である。

 仮に、多次元同時存在の法則を適用して、両者が同一神だとすれば、天照大神はイエス・キリストだという結論となる。

 太陽神と言うだけで、同一真であるとは、強引であるが、先の絶対三神と造化三神の対応をもとに、同じ結論を導くことができる。

 「山城国風土記」には、水度(みと)神社の祭神として「天照高弥牟須比命(あまてらすたかみむすびのみこと)を紹介している。多次元同時存在の法則をもとに名前を分解すると、「天照高弥牟須比命」は「天照」「高弥牟須比命」となる。いうまでもなく「天照」は「天照大神」である。「高弥牟須比命」は読みからして「高御産巣日神」と見て間違いない。両者が同一神であることは神名は暗示しているのだ。「竹内文書」の神々を組み込むと、次のようになる。

 御子→ヤハウェ=イエス・キリスト→高御産巣日神=天照高弥牟須比命=天照大神→太陽神=天御光太陽貴王日大光日大神=メシア

 見事にまで整合性が取れている。神道の最高神に位置付けられている天照大神がユダヤ教の絶対神ヤハウェであると同時に、原始キリスト教でいうイエス・キリストであることがはっきりと示されている。

 天照大神がイエス・キリストであるとは、突飛な話のように思えるが、「竹内文書」がイエス・キリストの来日を記しているのは第11代・垂仁天皇の御代である。「正統竹内文書」においても、イエス・キリストが日本にやってきたのは第11代・垂仁天皇の御代であるとされる。

 それでは、いったい垂仁天皇の時代に何があったのか? 

 実は、今日の伊勢神宮が定まったのである。崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命の後を継いだ垂仁天皇の皇女、倭姫命が御杖代となり、長い旅の末、最終的に今の三重県にある伊勢神宮に八咫鏡をお祀りした。

 このことは「竹内文書」にも記されているのだが、興味深いことに、そのすぐ後にイエス・キリストの来日が記されているのだ。あたかも伊勢神宮とイエス・キリストが密接な関係にあると言いたげに、二つの事柄を並べて記されている。しかも、とりようによっては、余りにも露骨ではある。

 天照大神は神道の最高神である。その理由は一度死んで甦ったからである。天照大神を天照大神たらしめているのは、ひとえに「天岩戸開き神話」である。弟のスサノオ命の悪事に怒った天照大神が天岩屋に籠ったことで、地上が暗闇に包まれてしまった。困った神々が相談して一計を案じ、天照大神を何とか天岩屋から連れ出すという物語である。ここに天照大神がイエス・キリストである暗号が隠されている。

 まず、天岩屋とは何か? 洞窟の様なイメージだが、扉がある。人工的に作られた洞窟とは、横穴式の墳墓である。墳墓の中に入ったということは、死んだということを意味する。日本では古来、天皇陛下などの高貴な方が亡くなると、「お隠れになった」と表現する。天岩屋に隠れた天照大神は、まさに死んで横穴式墳墓に埋葬されたのである。

 天岩屋に籠る原因となったスサノオ命の悪事の中で、天照大神の怒りを買った直接的出来事は、侍女の稚日女尊(わかひるめのみこと)の死である。この時、天照大神自身も怪我を負っている。侍女とされるが、多次元同時存在の法則を持ち出すまでもなく、稚日女尊は天照大神の分身であり、同一神なのだ。怪我が元で、天照大神は死んだのである。

 天照大神が天岩屋に籠ると、太陽神が消えたので、地上は暗くなった。すると、巷は魑魅魍魎であふれかえり、大混乱に陥った。神々は天の安河の集まり、対策を協議する。

 天香具山から持ってきた真賢木(まさかぎ)に八咫鏡を掲げ、ヤサカニノ勾玉をしつらえると、常世の長鳴鶏を鳴かせた。準備が整うと、天鈿女命が裸踊りをして、これを見た神々が一斉に笑い転げた。

 やけに外が騒がしいことが気になり、天岩戸を少し開いた天照大神に対して、あなた様より貴い神が現れたのだと天鈿女命が語ると同時に天児屋命(あめのこやねのみこと)と太玉命(ふとたまのみこと)が八咫鏡を差し出した。八咫鏡に映った自分の姿を見て、一瞬、戸惑った隙に、天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)は天岩戸を開き、天照大神の手を取って外に引きずり出した。これを見届けた天児屋命と太玉命は入り口に注連縄を張り、もう二度とお隠れなさらぬようにと申し上げた。天照大神が天岩屋から出てきたところで、再び地上に光が戻った。

 神話学的に天岩戸開き神話は日食を表現したものだとされ、怪我の責任を太陽神の巫女である卑弥呼が負わされて死んだ後、再び同じ巫女である台与が現れたことを意味しているのではないかとされる。

 だが、それは表層でしかない。天岩戸開き神話の深層は、天照大神の死と復活であり、かつ不老不死の存在になったことにある。天岩戸の入り口に注連縄を張り、二度と隠れることがないという宣言は、もう死なないことを意味する。紛れもなく、これはイエス・キリストの復活劇なのだ。


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