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「竹内文書」の真相(47)

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(47)インドの「キリストの墓」

 キリストの墓は日本に見ならず、インドにもある。カシミール地方のスリナガルという町には、イエス・キリストが眠っている墓があり、その石棺には仏足石のような彫刻が施されている。地元の伝承によると、イエスは「ユズ・アサフ」という名前の聖人として知られていた。ユズ・アサフは十字架刑を生きて逃れて、この地へやってきた。彼は神の教えを説きながら天寿を全うし、112歳で死んだという。

 ユズ・アサフは「イッサ」という名前でも知られている。恐らくイエスが転訛して、イッサとなったのだろう。彼の生涯は「聖イッサ伝」というチベット密教系の経典に記されている。ヒミス寺に秘蔵されていた「聖イッサ伝」によると、イエスがインドを訪れたのは十字架刑の後ではなく、その前であり、まだイエスが青年だったころのことだという。

 インドの地でイエスは偶像崇拝やカースト制を否定し、神の前では誰でも平等で互いに愛し合うことが大切だと説いた。社会的弱者には受け入れられたが、支配階級の者にとっては、ひどく不評であった。

 怒ったバラモンの祭司や王たちはイエスを殺そうと企んだが、それを知ったイエスはネパールへと逃亡する。ネパールではパーリ語を習得し、多くの仏典を学んだ。仏教の叡智を知り、人々に教えを宣べ伝えた。

 6年後、彼はネパールからペルシャへ赴き、そこでも伝道を行った。ゾロアスター教の祭司たちはイエスに論争を挑んだが、逆に諭されてしまう。最も古いゾロアスター教の神こそ、この世を作った天の御父であるというのだ。かくして、修行を終えたイエスは29歳の時、再び故郷へ帰っていったという。

 これは、ちょうど「新約聖書」に記されたイエス・キリストの生涯における空白期間と一致する。パレスチナへ帰ったイエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けて伝道を開始し、3年後に十字架刑となる。ユズ・アサフ伝説では、イエスは十字架刑では死なず、再びインドへと戻ってきて生涯を終えたことになる。

 どこかで聞いた話である。そう、「竹内文書」の内容とそっくりなのだ。場所や年齢など細かい差異はあれど、基本的なストーリーは同じである。これはいったい何を意味するのだろうか?

 「キリストの墓」が「イエス・キリストの再臨」を意味する暗号だとすれば、インドにも失われたイスラエル人がいたことになる。インドの人々に伝道するために、復活体となって降臨したのだ。「竹内文書」には、それを裏付けるもう一つのコードがある。「キリストの墓」ならぬ「釈迦の墓」である。

 仏教の開祖である「お釈迦様」は本名を「ガウタマ・シッダールタ」といい、悟りを開いてからは「仏陀」と尊称される。釈迦は紀元前5世紀ごろ、コーサラ国のルンビニーにて王子として生まれた。29歳の時、全てを捨てて出家する。体を極限にまで追い込む苦行を続けるも、なかなか悟ることができなかったが、6年後、ついに菩提樹の下で解脱する。

 当初、仏陀となった釈迦は、この悟りは決して他人には理解されることはないだろうと思っていたが、そこへ梵天が現れ、衆生を救うため、教えを説くように強く求められた。結果、釈迦は伝道を決意し、サールナートで最初の教えを説く。仏教でいう「初転法輪」である。こうして教団が大きくなり、全世界へと仏教は広まった。晩年まで精力的に、伝道を行った釈迦だったが、80歳の時に食中毒となる。毒キノコを食べたせいだろうといわれているが、病状は回復せず、最後は弟子たちに見守れながら沙羅双樹の下で入滅する。

 死後、釈迦の遺体は荼毘に付された。火葬されて、残った遺骨は弟子たちによって分けられた。仏教ではお釈迦様の骨を「仏舎利」と呼ぶ。当初、分骨に関して争いが起こったが、最終的に8つに分けられ、残った灰も併せて弟子たちが持ち帰り、それぞれの場所に埋葬したのち、そこに「ストゥーパ」を建てた。これが「卒塔婆」である。日本ではお墓に卒塔婆の板を立てるのは、釈迦の墓に倣っているからだ。

 インドのストゥーパは半球状のドーム型の墳墓で、頂上に仏舎利を収めた箱を置き、その上に傘蓋をしつらえる。時代が下がると、傘蓋は幾重にも重ねられ、さながら樹木のような形になる。木造建築としてストゥーパが作られるようになると、三重塔や五重塔という楼閣形式の層塔へと発展する。このほか、多宝塔や宝篋印塔、五輪塔もまた、ストゥーパの一形態である。

 こうしたストゥーパには、お釈迦様の骨はない。お釈迦様の骨に見立てた宝石や経典を仏舎利として祀ったり、地中に埋めたりする。仏舎利が収められたストゥーパは、お釈迦様の墓である。厳格な儀式と信仰によって、宝石や経典はお釈迦様の骨となるのである。キリスト教のミサにおいて、パンとワインがキリストの肉体と血になる秘術と基本的に同じ儀式だといっていい。

 言い方を変えれば、世界中の寺院にある仏塔は、みな、お釈迦様の墓なのである。実際の骨が埋葬されていなくとも、、信仰上、お釈迦様の聖墳墓なのだ。当然ながら日本にもある。お寺は基本的にお釈迦様の墓をお祀り申し上げているともいえよう。

 ところが、こうした宗教上の教義とは別に、お釈迦様の墓が存在すると断言するのが「竹内文書」である。ゴウタマ・シッダールタの遺骨が埋葬された墓がある。分骨ではなく、完全な形で、お釈迦様が眠っておられるというのである。


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