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「竹内文書」の真相(43)

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(43)キリストの墓と縄文遺跡

 日本のアカデミズムは、キリストの墓を認めていない。

 したがって、学術調査がなされたことはない。

 被葬者は誰なのか、発掘して確認したことは一度もない。

 唯一の根拠ともいえる「竹内文書」を除けば、全ては状況証拠であり、イエス・キリスト本人が埋葬されたことを裏付ける物的証拠は無い。

 あるのは、二つの塚である。

 確かに、地元では高貴な方が埋葬されているといううわさはあったものの、主の名前は不明である。

 埋葬者がわからないということは、それだけ古い墓である可能性は残る。

 では、学術的な視点から見て、いったいキリストの墓の正体は何なのか? 

 考えられるのは縄文時代の墳墓である。

 実際、キリストの墓がある一帯から縄文土器や石器が発見されており、中でも典型的な石皿が沢口家の残っている。

 規模は小さいながらも、近くにはストーンサークルもあるといううわさを聞いたことがある。

 これは、縄文時代の住居跡、もしくは墓所だったのではないか。つまり、キリストの墓は縄文遺跡ではないのか。

 現在、弥生時代の始まりは紀元前10世紀に遡るとされるが、それは西日本でのことである。

 東北は縄文時代が続いていた。つまり、西日本が弥生文化圏で、東日本は縄文文化圏に別れていたのだ。

 中でも東北北部や北海道は稲作が伝来した後、それを放棄して、再び縄文文化に戻る。

 いわゆる続縄文時代は紀元前3世紀から紀元後7世紀の古墳時代まで続いた。

 イエス・キリストの時代、東北地方が縄文文化圏にあったことは間違いない。

 縄文文化という視点からキリストの墓を分析すると、意外なことが見えてくる。

 縄文人と言っても単一民族ではなかった。

 日本列島には大陸から多種多様な民族がやってきた。

 遺跡から発掘される人骨を分析すると、その多くはアイヌ系であったことがわかっている。

 アイヌは日本の先住民だった。

 キリストの墓もまた、縄文時代にまで遡るとすれば、アイヌの墓に似ている。

 内部に人骨が存在するなら、その主はアイヌである可能性が高い。

 1996年、アメリカのコロンビア川で、先史時代の人骨が発見された。

 ケネウィックマンと名付けられた人骨は、当初、ネイティブアメリカンだと思われていたが、調査した結果、白人の可能性が高いと判断された。

 これに対して、地元のネイティブアメリカンらは自分たちの先祖の骨であるとして、返還を求める訴訟を起こした。

 アメリカにおいて、この種の問題は非常にセンシティブである。

 ネイティブアメリカンを武力で征服した白人にとって、最初のアメリカ人が非モンゴロイドであることは、自らの大義を正当化し、罪の意識を軽減することにつながる。

 そもそも、アメリカ大陸を発見したのは白人で、それを征服したのがアジア系のネイティブアメリカンだ、もともと白人のものだったというわけである。

 しかし、この騒動、そもそも発端がおかしい。ケネウィックマンは白人であり、最も近い民族はアイヌだというのだ。

 どうも、アメリカの人類学では、アイヌが白人であると思われているらしい。アイヌがモンゴロイドであることは遺伝子的レベルではっきりしている。詳細なDNA検査の結果、ケネウィックマンはネイテイブアメリカンだという結論が出された。

 なんともお粗末な話だが、見方を変えれば、アイヌとネイティブアメリカンは骨相及び遺伝子的に近いことを物がっている。特に北米インディアンや中米及び南米のインディオは、ほぼ同じ人種と言っていい。

 また、アイヌは沖縄の琉球民族と古代の神話や風習がほとんど同じであることがわかっている。アイヌの方は琉球の人と会うと、南の兄弟と呼ぶという。両者はともに海洋民族で、太平洋で広く活動していた。極端な話、環太平洋のモンゴロイドは同族だったということになるのだ。


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