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「竹内文書」の真相(40)

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(40)キリストの墓の発見

 地元の人は「竹内文書」の存在を知らなかった。

 ゆえに、自分たちの村にキリストの墓があるなど、誰一人知る由もなかった。

 エポックとなったのは1935年、すなわち昭和10年だ。

 前年の昭和9年、地元の郷土史家である鳥谷幡山が戸来村にある大石神山を日本ピラミッドであると発表し、竹内巨麿及び酒井勝軍に報告した。

 これを受けた竹内巨麿が調査団を引き連れて昭和10年8月7日に戸来村を訪れた。

 当初の目的は大石神山ピラミッドの調査と認定にあったが、ここで饅頭塚の存在を耳にする。

 戸来村の沢口家が管理する墓所には、昔から二つの塚があった。

 高貴な人の墓であるという噂はあったが、詳しいことはわからなくなっていた。

 そこで、竹内巨麿は村長の佐々木伝次郎とともに、藪をかき分けて、問題の塚を見つけると、向かって右側をキリストの墓「十来塚」、左側を弟イスキリの墓「十代塚」であると断定した。

 これがキリストの墓伝説の始まりである。

 現地調査を終えた竹内巨麿は皇祖皇太神宮へと戻り、改めてイエス・キリストに関する史料を捜したところ、「キリストの遺言」を発見し、同年10月10日に公開している。

 関係者によると、8月20日の時点で実物を確認している。

 郷土史家の鳥谷幡山も、この一部を著書に引用しているほか、現在は「キリストの里伝承館」に展示されている。

 内容は大きく3つに分かれている。

①ゴルゴタの丘における十字架刑の顛末と日本への再来日、そして皇祖皇太神宮の神主である武雄心親王へ天国の言葉で記した遺言を奉納したことが手短に書かれている。

②五色人に宛てる形で、イスキリと両親の御神骨像、そして天国に帰る決意が記されている。

③再来日してからの出来事が列挙され、死んだ後も、祭礼が末永く行われることを願っているとある。

 このほかに神代文字の一種、イスキリ文字で記された版木も残っている。

 実物を見ていただくとわかると思うが、文体はもとより、用語が新しい。素人目にも、古代に記されたものではない。恐らく、これもカモフラージュの一環で、意図的に現代の言葉で表現しているのであろうか。

 キリストの墓は沢口家の墓地にある。

 十来塚と十代塚の下方には、代々の沢口家の墓が並んでいる。

 墓石を見ると、そこには家紋が刻まれている。

 「桔梗紋」の一種らしいが、形状としては「麻の葉紋」に似た「麻の葉桔梗紋」に近い。

 元は単純に五角系の星形をしていたらしいのだが、しばしば、これはユダヤのシンボルの一つ「ダビデの星」であると指摘されることがある。

 キリストの墓を代々、守ってきた沢口家はイエス・キリストの子孫であるとも噂される。

 イエスはイスラエルの大王ダビデの直系子孫であるゆえ、その家紋がダビデの星であっても不思議ではない。

 だが、沢口家の家紋はダビデの星ではない。

 ダビデの星は「六芒星→ヘキサグラム」のことで、日本でいう「カゴメ紋」である。

 伝説ではダビデ王の家紋で、楯に描かれていたとされる。

 ヘブライ語のダビデは、英語のアルファベット表記で「DVD」である。

 「D」は古代ヘブライ文字で「△」と表記し、「V」は「・・・と・・・」、つまり、「+」の意味で使われる。したがって、「DVD」=「△+▽」=ダビデの星のマークとなるわけである。六芒星がダビデの星と呼ばれることで、双璧をなすイスラエルの大王ソロモンの名前を冠したのが「五芒星→ペンタグラム」で、家紋でいえば「清明桔梗紋」のことである。

 よって、沢口家の家紋をダビデの星と呼ぶことは正確ではないのだが、慣用的に間違ってはいない。ソロモンの星であっても、イスラエルの象徴にほかならないのだから。ちなみに、南部せんべいの裏には、かって六芒星が描かれていた。


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