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「竹内文書」の真相(39)

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(39)イエスの再来日

 現存する「竹内文書」において、イエス・キリストの記述があるのは、実は2か所だけである。

「この天皇時代、イエスは十字架の難を、弟の身代わりによって逃れて、日本に来た。父の国、八戸に上陸、戸来村に住み、百十八歳の長寿を保った」(「神代の万国史」第3編115章 神倭朝第11代)

「日本全土にその教と、遺跡を残したキリストは、百十八歳の長寿を保ち、ヘライの地に一生をとじた」(「神代の万国史」第3編116章 神倭朝第12代)

 伝承では、最初の来日は海路だが、2回目は陸路だった。イエス・キリストは中東から北欧、アフリカ、中央アジア、シベリア、アラスカ、南北アメリカ大陸、そこから再びアラスカを通って、最終的に日本の青森県八戸に上陸する。

 この間、12使徒とは別に14人の弟子を持つ。

 再来日したイエスは、自らを「八戸太郎天空坊」と名乗った。

 彼は結婚し、子供をもうけた。

 神倭朝第12代・景行天皇即位11年12月25日、イエスは118歳で亡くなった。

 現在のクリスマスは実際のところ、イエスの命日であった。

 遺体は戸来村に葬られた。

 すでに、そこには弟イスキリの遺髪を埋葬した「十代塚」があり、その隣にイエスの墓「十来塚」が作られた。

 また、イエスは両親の遺骨から像を作っている。それは後に「ヨセフとマリアの御神骨像」と名付けられ、イエス本人が皇祖皇太神宮に奉納したといわれる。

 「キリストの墓」は青森県三戸郡新郷村に今もある。

 今や観光地にもなっており、あたりは村役場によって整備されており、道路標識も立っている。

 新郷村の旧名「戸来村」という地名は「ヘブライ」に由来するといい、亡くなったイエスは一旦、近くの戸来岳で風葬されたともいう。

 ちなみに、毎年6月第1日曜日にはキリストの墓がある「キリストの里公園」で、その名も「キリスト祭」が行われている。

 さて、気になることがいくつかある。

 まず、再来日のコースが何とも長い。

 陸路で、これだけの旅をするとなれば、並大抵ではない。

 各地に弟子もいたというが、イエスがパレスチナ地方以外にも伝道したという伝説は、実はインドやペルシャ、フランスなど、世界各地にある。

 とりわけ、太平洋の向こう、南北アメリカにまで渡ったあたり、これは後々、重要なポイントになってくる。

 次に、イエスの日本名である。

 八戸という現代地名は別にして、注目は「天空坊」である。

 これは天狗名であり、実際、「クリスマス神八戸大天狗神」とも名乗っている。

 イエスを描いたという絵を見ると長い鼻に兜巾をかぶっており、明らかに天狗だ。

 天狗の容貌は日本人ではなく、端にお高い外国人、中でも鷲鼻が特徴のユダヤ人をモデルとしているのではないかと指摘されてきた。

 イエス自身がユダヤ人だと思えば、確かに納得がいく話だ。

 そして戸来だ。戸来は地名の他、名字にもある。戸来はヘブライに由来するというのだが、これは残念ながら俗説である。

 ヘブライ語では「イブリー」と発音する。英語では「へブル」で、ここに漢字をあてて「希伯来」とした。この「来」を「ライ」と呼んだがため、日本では「ヘブライ」と称するようになったのだ。ちなみに、古代エジプトでは「アビル」と呼ばれた。


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