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「竹内文書」の真相(34)

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(34)出雲大社と大ピラミッド

 古代エジプト文明を象徴するのは、ピラミッドである。当初、マスタバと呼ばれる墳墓を階段状に重ねることでピラミッドは作られた。古王国のジョセル王の階段ピラミッドは有名だ。アカデミズムが語るところによれば、スネフェル王の時代、ピラミッドは巨大化し、メイドゥムの崩壊ピラミッドやダハシュールの屈折ピラミッドと赤ピラミッドが建造された。

 息子のクフ王はギザに第1ピラミッド、孫のカフラー王は第2ピラミッド、曾孫のメンカウラー王は第3ピラミッドを建造したといわれている。中でも、クフ王の大ピラミッドは規模や使用されている技術も最高とされ、いまだに建造方法がわからない。最近では、内部に未知の空間が存在するともいわれている。

 大ピラミッドについて、「正統竹内文書」は古代日本のスメル族が作ったとし、その証拠として内部構造と出雲大社の構造が同じであることを指摘する。飛鳥氏も「八咫烏秘記」の情報として指摘していたが、大ピラミッドは入り口を入ると、地下に通じる通路から分岐して上昇する大回廊があり、その向こうに王の間と呼ばれる玄室が存在する。この大回廊の角度と高さ、そして玄室と上部にある重力拡散の間が、古代における出雲大社の本殿及び階段と全く同じなのだ。今でこそ、出雲大社は高さが約24メートルだが、平安時代には約48メートル、更に上古にあっては約96メートルあったという。少なくとも役48メートルあったという伝承に関しては信憑性が高いと評価されるようになった。仮にそれが正しいとするならば、これが大ピラミッドの内部構造と一致するのである。

 竹内睦泰氏が語るところによると、古代エジプトのピラミッドを建造したのはミケイりヌスという王だった。名に含まれる「ミケイリノ」とは世襲名で、いわば建設大臣の称号だった。古代日本においては、初代・神武天皇の兄弟に「三毛入野命(みけいりののみこと)」がいる。三毛入野命は日本全国に山岳神殿を建造した。これが日本ピラミッドだという。

 古代エジプトのピラミッドの内、ギザの三大ピラミッドは別格である。ヘロドトスは「歴史」で、それぞれクフ王とカフラー王、そしてメンカウラー王の墓であると記しており、今の学界も追認している。しかし、事実は異なる。今の技術をもってしても、大ピラミッドの建造は困難であり、ましてや人力のみを頼りに、ファラオの治世だけで完成するわけがない。そのことはエジプトの原住民は古くから知ってた。アラブ人の伝承によれば、大ピラミッドを建造したのはイドリスという王だったという。イドリスはサウリドとも呼ばれ、実は「旧約聖書」における預言者エノクのことである。エノクはノアの大洪水以前にいた預言者で、義人であったがゆえに、神に愛されて、ついには天に生きたまま上げられたという伝説の人物である。つまりは、大ピラミッドは超古代アスカ文明の技術によって建造されたのだ。当時は地球の重力よりも小さく、大気組成も異なっていた。今は失われた未知の科学技術によって、エノクは三大ピラミッドを作り上げた。アラブの伝承では、イドリスは将来、大洪水が起こることを知らされ、後世に叡智を残すための倉庫として大ピラミッドを建造したという。

 大ピラミッド内部には文字が記されていない。唯一、重力拡散の間に赤い塗料でクフを意味するカルトゥーシュに囲まれたヒエログラムが描かれている。重力拡散の間を発見したイギリス人の元軍人・ハワード・ヴァイスによって描かれたもので、密かに年代測定が行われており、決して古代に遡るものではないことがアメリカの秘密資料で分かっている。

 現在のところ、大ピラミッドに超古代の記録が刻まれた文字や文書らしきものは見つかっていない。

 エノクについて、「八咫烏秘記」は天王族最大の聖人「大聖王」と呼ぶ。大聖王は神の意志に従い、巨大な三柱の石造宮を言霊の光によって建造し、そこに超古代の知識と「知恵の書」を収めたという。いうまでもなく三柱の石造宮とは三大ピラミッドのことで、内容は基本的にアラブ人の伝承と一致する。


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