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「竹内文書」の真相(32)

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(32)古代エジプトと日本

 ノアの息子の内、ハムはアフリカ大陸へと広がり、古代エジプト文明を築く。

 古代エジプト文明の担い手は基本的に黒人であったが、肥沃なナイル河流域には周辺から数多くの遊牧民がやってきた。

 中には、セム系の民族もいた。極端を云えば、日本人の祖先もまた、古代エジプトに住んでいたのである。

 過激な「竹内文書」からすれば、古代エジプト文明は日本が発祥である。

 「正統竹内文書」でも、オリエントの文明は日本からやってきたスメル族が築いたものとしている。

 シュメール文明の遺跡と同様、古代エジプト文明の遺物にも天皇の象徴である「十六花弁菊花紋」が多数描かれている。

 確かに、古代エジプト文明の宗教観と日本の神道は非常に似ている。

 基本的に多神教であり、ラーと天照大神のように、太陽神が最高神とされる。

 ファラオはラーの子供とされ、天皇は天照大神の子孫で、ともに王は太陽神の子孫とされる。

 死んだ後、人間のソウルはバーとカーの二つに分かれるが、これは神道でいう魂と魄に相当する。

 両者の類似性はエジプト学者である吉村作治教授も認めている。

 時代は違うが、全く同じ壁画もある。古代エジプトでは太陽は船によって運ばれると考えられていた。

 神殿やピラミッド内部に描かれる太陽の船は、舳先に鳥が止まり、太陽神ホルスの頭上に太陽円盤があり、手漕ぎのオールが添えられている。

 典型的なのはセム・ネジェム墳墓の太陽の船で、これがそっくりそのまま日本の珍敷塚(めずらしづか)古墳の玄室に描かれている。両者の一致は偶然ではありえない。

 ピラミッドと古墳は、ともに墓である。古墳は円墳や前方後円墳などいくつか形に、バリエーションがあるが、中でも方墳は形状からすれば、四角錐のピラミッドにほかならない。

 古墳のルーツは、シルクロードを経由して、はるか古代の思想や技術がユーラシア大陸の極東へと伝承した。

 だが、交通やメデイアが発達していなかった時代、情報は人間がもたらすものである。

 彼らは渡来人と呼ばれ、大陸の高度な文明を日本にもたらしたと、アカデミズムは考えている。

 それは常識的であるが、逆もまた真なり。

 そもそも、古代エジプト文明を築いたのは日本人だった。

 日本人の祖先が古代エジプトに住んでおり、様々な古代遺跡を建造したのである。


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