(31)世界文明の発祥地
日本は世界最古の文明発祥の国である。
世に言う四大文明の源は日本であると「竹内文書」は主張する。
基本的に「正統竹内文書」も同様だ。人類が誕生したのは日本であり、超古代文明の中心地であった。1万2000年前に発生した大洪水により、一度、世界中の文明は滅んでしまうが、いち早く再興したのは日本だった。縄文文化の起源が1万2000年前に遡るのは、その証拠であるという。
日本文化は8000年前に中国に伝わり、5000年前にヨーロッパに伝播した。やがて、後の天皇家に続く「スメル族」が、太陽が沈む方向に理想郷があると信じ、二手に別れてユーラシア大陸へと渡った。
一方は、南洋を船で西を目指し、もう一方は、朝鮮半島から内陸を移動し、さらに別れてオアシス経由のシルクロードと北方のステップロードを西方へと向かった。
彼らはメソポタミア地方で合流し、世界最古と言われるシュメール文明を築くことになる。
シュメールとは本来、スメルと発音し、その名は日本のスメル族に由来する。
これを裏付けるように、シュメール文明の遺跡には、天皇家の象徴である「十六花弁菊花紋」が至る所に描かれている。
残念ながら、理想郷を発見することはできなかったスメル族は来た道を戻って、再び日本へ戻る。
南洋ルートで九州に上陸した人々は日向族、すなわち大和族と呼ばれた。海からやってきたので、海=アマ=天と読み換え、高千穂に天降ったという天孫降臨神話が作られた。
一方、陸路から朝鮮半島を経由して山陰地方に上陸した人々は出雲族と呼ばれた。
大和族は九州から瀬戸内海を通って、畿内に入り、その過程で出雲族と衝突し、最初は大和族が勝利したが、2度目は出雲族が勝った。最終的に和議が結ばれた。その象徴が天照大神とスサノオ命の誓約であるという。
このあたり「八咫烏秘記」は、どう見ているのか? ポイントになるのはノアの大洪水である。超古代アスカ文明の中心地、聖都アスカは超大陸パンゲアの東端、原日本列島にあった。闢父から継聖王まで、いわゆる「旧約聖書」でいうアダムからノアまでの預言者が、住んでいたという意味では、多少強引ではあるものの、確かに日本が世界文明の発祥地だったと読み換えることができる。
しかし、ノアの大洪水以後、最初に文明が開けたのは、メソポタミア地方である。
ノアの箱舟が漂着したアララト山から次第に南へと移動し、アルメニアからユーフラテス河とチグリス河のほとりへと勢力を拡大した。
シュメール文明を築いたのは預言者ノアである。大洪水が発生したとき、ノアは600歳だったが、その後、950歳まで生きた。約350年の間に、彼は文明を再興したのだ。
「旧約聖書」には記されていないが、ノアにはセムとヤフェトとハムの3人以外にも子供がいた。大洪水以後も、子供をもうけた可能性がある。宗家はセムが継ぎ、サレムの王となったのは預言者メルキゼデクである。彼の子孫からアブラハムが生まれ、その息子がイサク、そして孫がヤコブである。ヤコブの別名はイスラエルと言い、今日のユダヤ人へとつながる。
日本超古代文明論では、しばしばユダヤ人と日本人が同祖であるという「日ユ同祖論」が展開される。「竹内文書」でも、古代日本にユダヤ人が渡来したと記されているのだが、本家は日本だという立場である。これはノアに至る預言者たちがいたと考えればいい。「正統竹内文書」も、日本列島から中東へ向かった時期をノアの大洪水と読み換えると、構造的に筋は通ってくる。