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「竹内文書」の真相(30)

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(30)暦法とポールシフト

 「竹内文書」に掲載されている世界地図は、北が下になっている。一般的な地図とは上下が逆さまになっている。北を上にして描くのは、多くの国が北半球にあるため、国際的なルールとなっているからである。

 古代の地図が必ずしも北を上にして描く必要はなく、実際、中には東を上に描いているものもある。

 しかし、「竹内文書」の世界地図が南北逆さまになっているのには訳がある。竹内巨麿の時代、すでに世界地図を描くにあたって北は上にして描くことは常識だった。それをあえて、逆にした。ここに深い意味がある。

 なぜなら、かって地球は南北が入れ替わっていた時代があるからだ。北極点と南極点が入れ替わる極移動「ポールシフト」である。

 現在、地球の自転軸、すなわち地軸は公転面の垂線に対して、約23・4度傾いている。この地軸傾斜とは無関係に、自転方向そのままに極点が移動することを「ポールワンダリング」という。今も数メートルの規模で地球の極点は揺らいでいるのだが、これが激しくなり、両極が入れ替わるレベルにまで達するとポールシフトと呼ぶ。

ただし、ポールシフトという言葉は、しばしば地磁気逆転の意味で使われることがある。力学的移動と地磁気極移動とは、基本的に違う現象であることを理解しておいてほしい。

 北極点と南極点が入れ替わるほどのポールシフトが短期間で起こると、地上からは太陽が一時停止したり、西から昇って東へ沈むように見える。ペロドトスの「歴史」には、かって太陽が西から昇ったことが2度あったと記されている。もし、これが事実だとすれば、少なくとも4回のポールシフトが発生したことになる。

 結論から言えば、最初のポールシフトは約4500年前、ノアの大洪水が発生したとき、南北が入れ替わった。

 続く約4100年前ごろ、再びポールシフトが起こり、南北が元に戻る一方、これが原因でバベルの塔が倒壊した。

 次にポールシフトが起こったのは約3400年前、大預言者モーセが古代イスラエルの民を率いてエジプトを脱出したときだ。エジプト全土が暗闇に覆われるなど、地球的規模の天変地異が起こり、南北が逆転する。

 それから約40年後、預言者ヨシュアの頃、またしてもポールシフトが起こり、太陽の運行が停止する光景が見られた。

 この時、南北の位置関係は基本的に同じ状態となったが、紀元前8世紀ごろ、極が移動する。南北が入れ替わるほどではなかったものの、温帯地方であったシベリアが一気に北極圏となり、マンモスを初め多くの大型哺乳類が絶滅するはめになった。

 最後のポールシフトは、南極大陸を極地方へと持っていく。瞬く間に地上は氷に閉ざされ、巨大な氷床が形成される。世に言う「氷河期」とは、実はポールシフトによって突然、大地が極地方となり、超低温状態になることを意味している。オーパーツとして氷床の無い南極大陸が描かれた地図が知られるが、まさに最後のポールシフト以前の状態を描いたものなのだ。

 紀元前8世紀に起こったポールシフトでは、地球の公転速度にも影響が出た。スピードが遅くなり、1年の日数が変化した。現在、1年は365日だが、かっては360日だと考えられていた。古代においては、シュメールやエジプト、インド、ペルシャ、マヤなど、みな1年を360日、後に5日増やしている。なんと「竹内文書」でも、1年は360日であったと記されている。

「天大御光日球大神、御光照神、公運1度1日と定め、トトの御光天皇と同じく、公運1度を1日と定めて、360日を1歳と改めて定む。またの名を天照日神と云う」(神代の万国史』第1編6章 天神第6代)

 ここでいう「日球」は「太陽」のことである。地球の公転が1年360日だというのである。これは上下逆さまの世界地図と併せて、過去のポールシフトの記憶を今に伝えているのである。


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