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飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(26)

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(26)預言書としての「日月神示」

(下つ巻・第8帖 日本とイスラエルを結ぶスキタイ騎馬民族)

 「日月神示」の難解な内容が解き明かされる時が来たら、少しでも多くの人に、その内容を告げ知らせてほしい。たとえ足を止める者が一人もいなくても、諦めずに伝えてほしい。人々ばかりか、神界の三神に聞いてもらうつもりで話してほしい。神の力を受け、それを証として述べ伝えてほしい。

(解釈資料)

「日月神示」は数ある預言書に過ぎないが、神の預言書の体系を成している。その行き着く先に奥義があり、人々はそこを経て救いへと導かれる。日本人はどこから来たかを知れば、祖先を知ることができ、祖先の出所から神の存在に気付くことになる。

 スキタイ族がユーラシア大陸を駆け巡っていたころ、パレスチナ地方に、一つの王国が存在した。その王国の名は「古代イスラエル王国」である。ソロモン大王が治めるヘブライ人の古代王国である。紀元前1290年、モーセによって、エジプト脱出を果たした古代イスラエルの民は、その後シナイ半島の荒野を40年間もさまようことになる。紀元前1250年、モーセの後を引き継いだヨシュアによるカナン征服が始まり、ヨルダン川を越え「契約の地カナン」を得る。ヨシュアはその土地を、イスラエル12支族に分け与え、紀元前1025年まで続く士師が国を治める制度を作った。

 イスラエル12支族とは、紀元前1800年頃にいた預言者ヤコブに、12人の息子がいたことに由来する。長男から順にルベン、シオメン、レビ、ダン、ナフタリ、ガド、アシュル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンである。レビ族だけは神殿で祭祀をつかさどる職に従事する為、支族に加えなかった。そこで代わりに、ヨセフの息子マナセとエフライムを支族に加え、イスラエル12支族とした。しばらく士師の時代が続き、預言者サムエルは初代イスラエル王としてサウルを選ぶことになる。初めは正しかったサウル王は、やがて変貌し、絶対神への儀式を汚してしまう罪を犯す。そこで絶対神ヤハウェは、サウル王の代わりにダビデを王に選ぶようにサムエルに命ずる。

 王に予任されたダビデは、ぺリシテ人の巨人ゴリアテを石投げ器で倒し、英雄として初陣を飾るが、サウル王はダビデを殺そうとする。だが、サウル王と3人の息子が戦死し、ダビデが王としてイスラエルに君臨し、ダビデ王朝が築かれイスラエルが統一される。そのダビデの後を引き継いだのが息子のソロモンであり、彼の時代が最もイスラエルが繁栄し、幕屋も石と材木で築かれることになる。これが世にいう「ソロモン第1神殿」である。

 しかし、ソロモン王の死後、息子のレハベアムの時代に、「北朝イスラエル王国」と「南朝ユダ王国」に分裂する。紀元前721年、北イスラエル王国がアッシリアに攻め込まれ補因される事件が起こる。その後、北イスラエル王国にいた10支族の姿が、忽然と歴史の表舞台から消えてしまう。彼らを「失われたイスラエル10支族」と言う。

 南ユダ王国もバビロンのネブガドネザルに補因され、ペルシャ王のクロス王が解放するまでバビロン宗教の影響を受け、強烈な選民思想を取り込んだ「タルムード」を作り上げる。

 「失われたイスラエル10支族」は、何故再びパレスチナへ戻らなかったのか? それは、スキタイ騎馬民族に捕らえられたと考えるべきである。スキタイ騎馬民族もヘブライ人も同じ遊牧民だった。アッシリア帝国を滅ぼしたのも騎馬民族のスキタイだったことは世界史の事実である。ヘブライ人は国家の重要なポストに就くことが非常に多い。エジプトの司になったヨセフ、エジプト王族の中で指導的立場にいたモーセ、アケメネス朝ペルシャの宰相になったモルデカイ、新バビロニアで3人の司の一人として君臨したダニエル等々。つまり、スキタイ騎馬民族の中にあっても、ヘブライ人は重要なポストに就いた。このスキタイ民族が日本とイスラエルを結ぶ重要な橋渡しをした可能性がある。

 スキタイ騎馬民族の「積石塚」は、古極東アジアでも発見されている円形の墳墓のことである。中国の墓でないことは、中国の史書で、人の頭ほどの川原石を積んで塚とする風習を、驚きの言葉で記述していることでも分かる。日本でも謎の古墳と言われる「四隅突出型墳丘墓」の原型となる「方形積石古墳」も同時に発見されている。そのことから、騎馬民族の大きな流れが、ユーラシア大陸から朝鮮半島を経由し、日本列島に至るまでを見て取れるのである。それは、北方ユーラシアの草原を駆け抜けた「扶余系騎馬民族」が、間違いなく日本に渡ってきたことを認めた証拠ともいえる。

 日本独特の前方後円墳が大陸渡来のものと判明した以上、騎馬民族がユーラシア大陸から持ち込んだと考えて間違いない。


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