(8)兄ネルソンと弟デイヴィッドの骨肉の争い
そもそも、デイヴィッド・ロックフェラーは、一族のジョン・デイヴィソン2世の5男として産まれた。父親の死後、次男ネルソンの一族と、5男デイヴィッドの一族が、ロックフェラーの血脈を引き継いでいる。つまり、兄ネルソン一族が本流であり、5男デイヴィッドは傍流であった。(長男のジョン・デイヴィソン3世は穏やかな性格であり、骨肉の争いを避けていた) しかし、実際は5男がロックフェラー一族の利権を掌握し、世界の大魔王として君臨したのである。
ロックフェラー一族は、利権をめぐって骨肉の争いを繰り返してきた。デイヴィッドも、その事実を全く隠していない。特に兄ネルソンとの骨肉の争いを回顧録では「内戦」とすら表現している。
「1977年に入ると、RBF(ロックフェラー兄弟基金)の会議では、論争がますます激化した。ネルソンとジョンの怒りに満ちたやり取りが増え、ローレンスも時々議長の役目を放棄して争いに加わった」(「回顧録」より)
この「回顧録」は、兄に対する罵倒と憎悪に満ちている。
「いかなる時も猪突猛進のネルソンは、他者からの抑制を受け付けない」「ネルソンの提案は他の理事から強い反対を受けた」・・・兄弟の対立は、まさに日々日常・・・ファミリー・オフィスの小競り合い」として繰り返された。
「ネルソンは不可解にも、自分のアイデアを一族の他のメンバーに売り込む際、駆け引きの判断を誤った」「兄弟の承認を得られれば、自分のプランが実施されるとなめてかかっていた」「親類たちが全員一致で提案を却下したという通告を受けると、ネルソンは唖然とした」「ネルソンは今でも見たこともないくらい怒り狂い、兄弟3人に、直ちにプラン全体の導入を支持するよう要求した」(「回顧録」)
本来一族の主流である兄ネルソンが、5男デイヴィッドの傍若無人ぶりに、憎しみと怒りを抱いていたのは当然である。このように、ロックフェラー兄弟5人の間の葛藤、憎しみは凄まじかった。とりわけ、5男でありながら兄を蹴落とし、一族のトップに上り詰めたデイヴィッドに対するネルソン一族の恨みはまさに骨髄だ。
傍流であったデイヴィッド・ロックフェラーの死は、その後のロックフェラー一族利権の継承に難題を残している。一つは長男、デイヴィッド・ジュニアが一族の長におさまる道。もう一つは、本来主流であった兄ネルソンの係累に権力を移譲する選択肢である。すると、その権限は、J・D・ロックフェラー4世に引き継がれることになる。J・D・ロックフェラーは1937年生まれであり、1985年よりウェストバージニア選出の上院議員を務めている。しかし、この柔和な顔をした上院議員に、次期「世界皇帝」つまり、魔王の役目が務まるだろうか? デイヴィッド亡き後、一族には強力なカリスマが存在しない。次の魔王を引き継ぐ人材がいないのだ。つまりは、デイヴィッドは、その顔貌の示す如く、底なしの悪魔的な魅力と権力をたぎらせていたということだ。
「ロックフェラー財閥は、外交問題について分析・討論するために創設された会員制組織「外交問題評議会」(CFR)に巨額な資金を提供した。ここから輩出される人員は5000人を下らないといわれ、ことごとく歴代アメリカ政府の要職についている」
「しかし、そのCFR自体が表舞台に出ることはまずない。間瀬メデイアのトップもすべてフリーメーソンであるがゆえに、情報操作が簡単にできるからである。ちなみに、あの国連も、このCFRの提言によって創設された」
「1973年には、現当主デイヴィッド・ロックフェラーが、日本・北米・欧州の各界を代表する指導者を集めた「三極委員会」(TC)を設立し、これを足掛かりに統一政府による世界支配を目指して暗躍しているという」(並木伸一郎氏)
つまり、国連も魔王の所有物に過ぎないのだ。ちなみに、国連本部の建つ敷地もロックフェラーの私有地だ。そして狡猾な魔王は、自分に反対する動きは、逐一見逃さなかった。この冷徹な老人は、瞬き一つで一国を滅ぼすことが可能だった。だから彼は「世界皇帝」として恐れらていたのだ。