(7)「悪の権化!」と食って掛かった娘たち
101歳の高齢老人が死んだだけで、世界が急変するだろうか? しかし、実際に2017年、激変が世界を襲ってくるのだ。それは魔王の死んだ年、まさに2017年ショックだった。その激変の震源は「悪の大帝」の死以外に考えられない。
世間の疑問の一つに、次のようなものがあるだろう。「デイビッド・ロックフェラーが死んでも家族や親戚がいるはず。跡継ぎには困らないはずだ」「支配の権利は、子供たちに引き継がれるのではないか」 誰でもそう思うはずである。
「ロックフェラー回顧録(下)」の表紙には家族の肖像が載っている。中央後方が若き頃のデイビッド。カメラを見据えた6人の子供たち。優し気な愛妻ペギー。この家族写真を見る限り、魔王は家庭では、一族の愛に囲まれた幸せなひと時を過ごしていたように思える。しかし、実際はそうではなかった。子供たちは、ほとんど父親に反発した。とりわけ長女のアビーと三女のペギーの反抗は凄まじかった。「二人は、1960年代の革命的な思想と運動に深く魅了された」と、彼は「回顧録」に、「家庭内の悩み」として吐露している。
その家庭内の子供たちの反抗は、外部にも知られるようになっていた。1976年、1冊の著書が出版された。タイトルは「ロックフェラー、アメリカの名家」。著者はP・コリアー他。同書は発売されるやベストセラーとなった。デイビッドは苦々しく綴っている。
「この本は、私の一族を、マルクス主義理論と反体制の文化政治観のレンズを通して眺め、中傷的な記述がなされている」「私たちを、資本家の欲の権化、アメリカと世界中の現代社会における大部分の悪の原因として描き出している」 しかし、これらは、全く事実であった。それを、なんと長女アビーが父親に抗議し、食って掛かったのだ。
「アビーは、マルクス主義に魅かれ、フィデル・カストロの熱烈な崇拝者になり、しばらくの間、社会主義労働党にも加わった。アメリカがベトナムへの軍事援助を強化すると、ランバーツ誌を含む反戦組織の財政を援助し、ボストンで徴兵反対組織のカウンセラーとして働いた」
しかし、ここまで正直に娘の行状を綴る父親デイビッドにも、いささかの共感を覚える。
「アビーが最も深く傾倒したのはフェミニズムだ。1967年には、社会における女性の副次的な地位に抗議するため「二度とドレスを着ない」と言った」 さらに、1970年代に入ると、アビーの関心は環境と生態系の維持にも寄せられた。そして、父親への反抗は収まらなかった。
「アビーは、一族と私が象徴する、ほぼすべてのものに対して、猛烈な反抗と怒りに満ちた拒否を表明してきた」
その妹ペギーも、姉の影響を受けて、父親に猛反発した。
「多数の帆船組織を積極的に支援し出した。ペギーはその強い社会正義感から、自分には非常に大きな富と機会を提供する一方で、他の何百万もの人間を最悪の貧困状態に陥らせる制度に疑問を抱くようになった」
ペギーは父親に一切頼ることなく、「1960年代半ば、ブラジルで働くうちに、自力で貧困の本質を見出した」「自分の目撃した貧困状態に打ちのめされ、意義ある変化を妨げる政治的、経済的な障壁に激怒した。また、私に代表される資本主義制度が問題の大半を占めていると信じ込んだ」 そして、彼女は、大学時代のほとんどを、恵まれない子供たちや被虐待児を救うボランティア活動に捧げた。アビーとペギーは父親を嫌悪して、ロックフェラーと言う姓を名乗ることさえ拒絶した。そして、母方の姓を名乗り続け、父親との関係すら一切絶った。
末っ子のアイリーンも反抗的だった。「彼女は緊張状態に陥った。1970年代中ごろに、アフリカ長期旅行から帰国後に、親もとから離れて暮らすと決心して、しばらくは、私たちとの仲が疎遠になった」
次男リチャードもベトナム戦争に苦悩していた。彼は、この戦争に対する鋭い疑問を父親に投げかけている。「その質問に答えたり、息子の命を奪いかねない戦争への、強力な支援を正当化したりするのは、優しいことではなかった」とデイビッドは告白している。戦争でぼろもうけする「死の商人」の大ボスも、息子の前ではうろたえているのだ。だから、家族そろって団欒の夕食も、しばしば、激論と口論の場と化した。デイビッドは、それを「戦場のようだった」」と回顧している。
6人の子供たちの、ほとんどが父親に反旗を翻したり、反抗している。もっとも温和だったのが長男のデイビッド・ジュニアだ。「ジュニアは、1992年、私の引退と同時にファミリー・オフィスの長となった」「ジュニアが一族の中で最適だった」とロックフェラーは長男を自賛している。しかし、一族の末路には暗雲が漂っている。2014年6月13日、医師であった次男リチャード(65歳)が突然、自家用飛行機で墜落事故死したのだ。彼は前日に、父親デイビッドの99歳の誕生日を祝い、米北東部メーン州の自宅に帰る途中に墜落死した。飛行機は離陸後、わずか数分で墜落したことから、暗殺説が根強くささやかれている。一部報道では、「父親に会い、イルミナティ一族やロックフェラーの秘密を暴露した本を出版すると父親を脅迫した直後に、飛行機事故で死亡したように見せかけて彼を殺害し・・・・13日の金融日の満月の夜のいけにえ儀式に捧げられた」とあった。これはあくまでも推測の記事で真贋のほどはわからない。デイビッドが溺愛する息子を手に掛けることはあり得ない。しかし、飛行機事故を装うのは、暗殺の常套手段であり、他の勢力による脅しなのかもしれない。