(23)天照大神の正体
(下つ巻・第3帖 「天宇受売女」の意味は「イエスに関わる女」)
神道の氏子100人に向かい、天照大神が男神であり、イエス・キリストだったと言うと、殆どの者が訳の分からない顔になるはずである。第1、天照大神が女神ではないという段階で目が点になる。記紀の仕掛けは、横に広がっているだけではなく、縦にも広がっている。縦横に仕掛けられた仕掛けを開けることが求められている。その場合、記紀の矛盾点をこじ開ければよい理屈になる。我々日本人は、天照大神と言えば女神であると信じ込んでいるのは、記紀の中に、高天原を治める最高神が女神であると記されているからである。記紀をそのまま信じてはならない。真相を知るには、記紀に仕掛けられた錠を手に入れた鍵で開けねばならない。そうしなければ記紀は秘密を絶対に明かさないからである。では、天照大神の正体とは何者なのか?
その前に神道の基本は「人が死ぬと神になる」と言う考え方に注目することである。先の太平洋戦争でも特攻で玉砕するパイロットたちは飛び立つ前から生き神様として扱われ、「靖国神社」で神として奉られている。戦国時代でも上杉謙信は「上杉神社」で祭神として奉られ、武田信玄は「武田神社」で祭神として奉られている。つまり、日本人は人が死んで神になるという教えを神道の歴史と共に養ってきた。平安時代には菅原道真の祟りを恐れた朝廷が、道真の霊を鎮魂するために天満宮を全国に建てたり、死んで権現様となった徳川家康を「日光東照宮」で神として奉った。乃木希典将軍を奉る「乃木神社」や明治天皇を奉る「明治神宮」もしかりである。墓所と違う点は、御霊なので時と場所を超越できることである。だから、墓と違い遺骨には縛られない。
そこで天照大神も、「神になる前に人間だった」と解釈すれば、思わぬ姿が垣間見えてくる。記紀には弟の「須佐之男命」の悪行に耐え切れず、高天原の岩戸に隠れてしまう。その結果、世界中が暗黒に包まれてしまう。困った八百万の神々は岩戸の前に集まり知恵を出し合い、ついに「天宇受売女」が神楽を舞い、何の騒ぎかと天照大神が岩戸を少し開けた瞬間、「天手力男神」が丸い岩の蓋をこじ開けて、中から天照大神を連れ出したとある。さらに「天太玉命」がしめ縄を張り、天照大神が二度と岩戸に戻らぬようにしたとある。こうして天照大神の光が蘇り、天上の高天原と地上の芦原中津国は再び明るくなり、天照大神は二度と岩戸に隠れることがなくなった。
日本では隠れることは「死」を意味する。天照大神が隠れた岩戸は「竪穴」ではなく「横穴」である。その横穴には丸い蓋があり、天照大神が死ぬことで墓の蓋が閉じられたことになる。殺したのは須佐之男命だが、間接的に天照大神を死に追い込んだ黒幕である。
記紀が記すような人生を送った人間がこの世にいたのだろうか?
それが存在したのである。今から2000年前のユダヤの地に生誕したイエス・キリストのことである。十字架で亡くなったイエスの様子を「新約聖書」は以下のように記している。
「人々はイエスを木にかけて殺してしまいました」(「使徒言行録」第10章39節)
木にかけることは十字架に吊るすということだが、記紀神話にも同じようなことが象徴として暗示されている。忌部の祖である天太玉命が、天の香具山から掘り出した「榊」に八咫鏡を引っ掛け、それを岩戸の前にかざしたとある。どこが磔刑と同じかと言うと、榊に掛けられた鏡に映った天照大神の目は、木にかけられた自分の姿を見たことになるからである。そのイエスの墓についても「新約聖書」は以下のように記している。
「ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、綺麗な亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入口には大きな石を転がしておいて立ち去った」(「マタイによる福音書」第27章59~60節)
このようにイエス・キリストは、人として生きて人として磔刑で亡くなったと記されている。今もイエスの遺骸を納めたという墓穴はイスラエルに残されている。
次にイエスの蘇りであるが、復活には2人の天使が関わっている。
「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た2人の人がそばに現れた。・・・・・「人の子は必ず罪人の手に渡され、十字架につけられ、3日目に復活することになっている。」と言われたではないか」(「ルカによる福音書」第24章2~7節)
新約聖書では、イエスが死から蘇り、神と同格になったと記している。日本人は昔から人が死ぬと神になると教えてきたので、それが神道教義の基本でもあった。蘇ったイエス・キリストが最初に出会ったのがマグダラのマリアである。
「イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、先ずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに7つの悪霊を追い出していただいた婦人である」(「マルコによる福音書」第16章9節)
天照大神の岩戸の前で裸で踊ったアメノウズメが、体を売る生活をしていたかもしれないマグダラのマリアと一致してくる。「アメノウズメ」の意味は「イエスの関わる女」と言うことである。さらに言えば、イエス・キリストが十字架上で息絶えたとき、世界に暗闇が襲ったという記述が新約聖書にある。
「既に昼の12時頃であった。全地は暗くなり、それが3時まで続いた。太陽は光を失っていた」(「ルカによる福音書」第23章44~45節)
つまり、イエス・キリストが亡くなると同時に、天地が暗闇になったと新約聖書は伝えている。これは天照大神の岩戸隠れと全く同じであり、闇が続いた時間までが正確に記されている点が重要である。記紀と聖書の一致は偶然ではない。