(22)大国主命=饒速日命=大物主神である!
(下つ巻・第1帖 三輪山の秘密が分かれば岩戸が開く)
富士山の秘密は天照大神の明快なまでの仕掛けだが、奈良県の大和平野から見下ろす山々にも同様な仕掛けが成されている。そこには青い垣根で囲まれたような聖域で、古代の人々は神の仕掛けを造った。「古事記」にも「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 倭し美はし」とあり、三輪山と纏向山は太古の聖山だった。特に三輪山は「大神神社」の御神体を成し、本殿を置かず、拝殿の奥に「三つ鳥居」を通して三輪山を拝する。その構造は、元初三神の祀りの様が伝えられ、「記紀」の上ではわが国最古の神社として知られている。「三輪山」は最古の聖域で、その神体山を拝する「大神神社」の入り口に巨大な鳥居がそそり立つが、そのような御大層な鳥居は不要である。本来、鳥居とは水に至る門の役目があり、そこが結界となって境を示している。三輪山に祀られる「大物主神」は「蛇神」とされているが、同時に「水神」「雷神」とも言われる。だから、三輪山は入山が禁制となってきた。水は海の水であり、絶対神の民族が海を越えて渡ってきた由来になっている。不死の奥に隠された秘密に光が当てられ、多くが解き明かされる時代が来る。お山の秘密が解け、三重や諏訪の地の秘密が解け、三輪の秘密も解ければ、いよいよ岩戸開きが本格的になる。ところが、民はこの世的な概念に縛られ、神への仕組みを理解するどころか混乱するだろう。だから、一刻も早く神に心を開き、溢れるほどの光を身に受けねばならない。そうすれば、理解の目が開くであろう。「日月神示」は特定の宗教の教えではないので、岡本天明は教団を興さないが、ただ絶対神に至る道筋を整えるだけである。だから、金もうけしか頭にない宗教団体には「日月神示」を売り渡すことをしない。
(解釈資料)
大神神社は古神道「物部神道」である。天孫族系の神道は、後からやって来たもので、国譲りを受けて物部神道を乗っ取っていく。だから三輪山は最古の神である「元初三神」を興りとする。「大神神社」の大神主家は、大神姓であり、三輪氏だった。中世に高宮氏と改めた大神氏は、「三本杉」「丸の内三つの輪」の社紋を用いた。これは「三位三体」を象徴し、山名の「三輪」も京都府太秦の「蚕の社」に立つ「三柱鳥居」の断面と同じである。
藤原氏の勢力が拡大するに従い、物部神道は表舞台から消えていく。藤原不比等の頃、「物部祝詞」が封印され、不比等が黒幕になって編纂した「記紀」の中で、物部氏の扱いは最小限に抑えられる。
710年、第43代・元明天皇の御世に「平城京遷都」が行われた際、物部氏の石上朝臣麻呂が藤原京の留守役に残される事態になる。この処置は不比等が下したもので、それ以降、物部氏は表舞台から完全に姿を消してしまう。つまり、藤原京に取り残されたのである。
石上氏と言えば、物部氏の主流で、その名を冠した「石上神社」には物部氏の祖を祀るとともに、数々の謎の儀式が伝承されていた。中でも最も奇異なのが「物部祝詞」と言われるものである。祝詞は「一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやこと)」と唱え、その後「布瑠部由良由良止布瑠部(ふるべゆらゆらとふるべ)」と言う謎の祝詞が加わる。これと同じ祝詞が、旧暦11月に宮中で行われる「鎮魂祭」で唱えられており、天皇家の祝詞に物部祝詞が入り込んでいる。さらに、物部氏の儀式に、弓を鳴らすものがある。これは今でも天皇家で赤子が生まれると、隣の部屋で同じ儀式が執行される。愛子さまの時も行われた。これは古代日本で弓の弦を鳴らすことは極めて軍事的で、物部氏にとって重要な呪術だった。その呪術を石上麻呂が不比等の前で見せたもである。この呪術は三輪山の神を呼び出す呪術だった。三輪山の麓にあるのが日本最古の社「大神神社」で、三輪の神は大物主神である。
大物主神は「古事記」では大国主命、芦原醜男、八千矛として知られ、「日本書紀」では大己貴神として出てくるが、正体は物部氏の祖「饒速日命」である。つまり、大国主命=饒速日命=大物主神で、今も皇室が祖の儀式を行う理由は、物部氏を絶対に無視できないからである。その物部氏と天皇家が和解したのでが、2013年の「伊勢神宮」「出雲大社」の同年式年遷宮である。