(30)イギリスEU離脱の真相
イギリスと言う名の国は存在しない。正式には「グレート・ブリテン及び来たアイルランド連合王国」と言う。略語で「連合王国」とし「U・K」と表記する。国家としてイギリスと表記するのは日本だけである。16世紀の南蛮人、紅毛人から始まる長崎の出島の歴史がその名を固定化した。オランダ語の「エゲレス」がイギリスになり、漢字で「英吉利」を宛てて「英国」となった。
2016年6月23日、イギリスでEU離脱を問う国民投票が行われ、離脱票が多勢になることが確実になった。世界中の経済・政治の専門家は残留結果になると予想していたが、最終得票差は、離脱派が51・9%で残留派が48・1%となった。
イギリス離脱の衝撃を最も受けたのはEUである。EU第2の経済国イギリスの離脱は、EU存続の根幹にかかわる重大問題となった。
イギリスはポンドを死守したのである。ユーロを使用しない以上、イギリスはユーロ圏ではない。ヨーロッパにはEU、NATO、ユーロの三重構造があり、スイスは一切加盟しておらず、トルコ、ノルウェー、アイスランドはEUに加盟しないがNATO軍には所属している。1957年にEC(ヨーロッパ共同体)が成立しているが、イギリスは当初、加盟していなかった。イギリスがECに加盟するのは1973年であり、万国博が大阪で開催された3年後である。イギリスが「原加盟国」ではないのは、フランスとの確執があるからである。
フランスの大統領であったシャルル・ド・ゴールはイギリスとアメリカが嫌いで、チャーチルとルーズベルトと絶えず衝突していた。英仏の不仲は英仏戦争まで遡る。英仏戦争はフランス王国の王位継承をめぐるヴァロワ朝フランス王国対、ブランタジネット朝&ランカスター朝イングランド王国の戦いだった。結果、現在のフランスとイギリスの国境線が決められた。「隣国同士は仲が悪い」の典型として近代から現代まで英仏で確執が存在する。