(24)聖徳太子とイエス・キリスト
最近では、聖徳太子は実在しなかったという説が注目を集めている。聖徳太子という名は諡号であり、当時は「厩戸皇子」もしくは「厩戸王」と呼ばれた。母親である間人皇后が厩戸にぶつかったことがきっかけで、聖徳太子を産んだことに由来するとされる。だが、世界広しといえども、馬小屋で生まれた聖者はイエス・キリストである。
イエスの母はマリアである。父はヨセフだが、性交せずして、マリアは身ごもる。当然ながら不貞を疑われたが、そこに天使ガブリエルが現れ、聖霊の力によって神の子を懐妊したことを告げられる。同様に、間人皇后が身ごもった時も、そこに救世観音が現れ、御仏の心にかなった聖者が生まれることを預言されている。
イエスは古代イスラエル王国の大王ダビデの子孫であり、王族だった。実家は大工を生業としていたが、一方の聖徳太子は日本の大工の祖である。古来、大工職人は聖徳太子を崇拝する太子講を組み、今でもゆかりの寺の縁日では大工道具が売られる。また、聖徳太子には超人的な逸話が多い。10人の訴えを同時に聞き分けたといい、聴覚と頭脳が明晰ゆえに、「豊聡耳命」とも呼ばれている。一種の超能力として崇拝されてきたのみならず、実際、預言者でもあった。「日本書紀」には「兼知未然→かねてより未然を知ろしめす」、すなわち未来を予知できたことが記されている。
聖徳太子は預言者だった。預言を記した書物「未来記」が存在し、それを楠正成が実見したと「太平記」には記されている。
楠正成が見た「未来記」は四天王寺に伝わっていた。本物が実在することだけは確かである。では一体、聖徳太子とは何者だったのか? そう、預言者である。未来を預言し、超人的な能力を発揮できたのも聖霊の力があったからである。史実とは思えない伝説は、すべてイエス・キリストの生涯を意識し、仏教的にアレンジしたものである。歴史学者の久米邦武博士は聖徳太子の周りには大陸から伝来した景教、すなわちキリスト教ネストリウス派の信者がおり、彼らが伝説を作り上げた可能性があると指摘している。具体的には、聖徳太子にイエス・キリスト伝説を付加したのは誰か? それは秦氏である。秦氏はユダヤ人原始キリスト教徒である。聖徳太子のブレーンというべき側近が秦河勝だった。秦河勝は秦氏の首長であり、太秦(うずまさ)の名で呼ばれた。
旧約聖書の預言者の名前や生涯は、すべてイエス・キリストの人生をトレースし、それぞれがひな型になっている。例えば、大預言者モーセが誕生した時にはイスラエル人の長子が虐殺されたが、同じことがイエスが生まれた時もあった。続く預言者ヨシュアはイスラエル12支族を率いて約束の地へ入ったが、ヨシュアとはイエスのことであり、彼は12使徒を従えた。同様に、イエス・キリストの生涯を付加された聖徳太子は、まさに預言者だったことを意味する。ユダヤ人原始キリスト教徒であった秦氏たちは、その意味を十分理解していたからこそ、史実とは思えないような聖徳太子伝説を生み出していったのである。