(24)「ニギタエ」はスダリオンだった!
イエス・キリストが埋葬されて3日目、弟子たちが様子を見に来たときに、天から二人の天使が現れた。彼らは墓を塞いでいた石を転がして扉を開いた。中は空だった。イエスの遺体はなく、そこには聖骸布が置かれていた。
「しかし、ペテロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中を覗くと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った」)「ルカによる福音書」第24章12節)
空の墓にあったのは聖骸布だけではない。もう一つ、布が置いてあった。カトリックではこれを「スダリオン」と呼ぶ。
「身をかがめて中を覗くと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中に入らなかった。続いて、シモン・ペテロも着いた。彼は墓に入り、、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じところには置いていなくて、離れたところに丸めてあった」)「ヨハネによる福音書」第20章5~7節)
聖骸布とは少し離れた場所にスダリオンはあった。顔を覆っていたとあるように、大きさは手ぬぐいほどだったらしい。大嘗祭において、亜麻布のアラタエが聖骸布の象徴であるように、スダリオンの象徴が「ニギタエ」である。ニギタエは亜麻布ではなく、絹織物である。服とはあるが、こちらも神衣としてではなく、あくまでも1枚の布として供えられる。
アラタエが「入目籠」に入れられて神座に置かれるように、ニギタエも「入目籠」に納められる。御衾には枕に相当する神単と靴である御沓が置かれるが、後者の左右に、それぞれアラタエとニギタエが置かれる。仰向けに寝たと仮定して、左側にアラタエ、右側にニギタエが来る形である。ここに二つの「入目籠」が並ぶことになる。両者は陰陽の関係にあると同時に、「カゴメ唄」にある「カゴメ、カゴメ」でもある。2回繰り返して歌われる「カゴメ」は、陰陽二つの「入目籠」、すなわち「アラタエ」と「ニギタエ」を象徴している。したがって、「籠の中の鳥」とは「入目籠の中のアラタエとニギタエ」であり、「聖骸布とスダリオン」に他ならない。いずれも遺体を包んだ布で、死んで葬られたときに、イエス・キリストが再び生き返って復活することを待ち望んでいる様子を「カゴメ唄」は描写しているのである。
中世、大嘗祭は一時的にではあるが、途絶えた。南北朝の動乱により、三木家のアラタエが献上できなくなったこともあり、天皇の即位において大嘗祭が行われない時期が続いたのである。復活したのは江戸末期、正式には明治天皇の即位からである。それもあって、古代における大嘗祭がどのように行われたかについては、定かではない。しかし、天皇には表と裏がある。表天皇が執行できない儀式は、全て裏天皇が行ってきた。中世に途絶えた大嘗祭の秘義も、裏天皇は継承してきた。
大嘗祭は天照大神=イエス・キリストと一体となり、その御魂、すなわち聖霊コクマーを身に宿す儀式である。そのため、天皇はイエスの死と復活を最後の晩餐から儀礼として再現する。具体的に、天皇は顔にニギタイを覆い、体をアラタエで包んだまま、御衾に横たわる。墓に埋葬されたイエス・キリストを身を持って体現し、ここから起き上がることで復活を演じるのだ。
一連の儀式を見届けるのは、鴨族である。忌部氏らが、全ての儀式を補佐する。さらに、八咫烏によると、大嘗祭において、鴨族の忌部氏は天皇の身体に特別な印を施す儀式があったという。これを伝えるのが四天王寺の国宝「後醍醐天皇宸翰本縁起」である。簡単に言うと、後醍醐天皇の手形に中央に隙間があり、朱が無く白く抜けている。つまり、後醍醐天皇の手には「釘穴がある」と言うことである。事実、飛鳥昭雄氏は、幼少のころから古老からそう聞かされてきたという。これは一体何を意味するのか? 謎を解くカギは聖徳太子である。、