(58)フリーメーソンのシンボルマーク
(富士の巻・第16帖 神国弥栄ぞよ)
「90」の9は最高数で、0は無である。これだけで両端を示し「初めと終わり」を暗示する。あるいは終わりと初めが輪になる仕組みを暗示する。しかし、「9」と「1」の「初めと終わり」ほど明確ではなく、次への橋渡しの意味合いがある。
漢字数はさらに如実で「九・十」の「九」は球と同じ読みで「球=0」となり、「「十」と合わせて「0・十」で「初めと終わり」を示している。実際、中国では肘の曲げた手を合わせた形とされ、指の数10本の意味があった。日本でも「九」に「一」を加えた漢字は「丸」で、「丸=円=○」となり、「丸=十(0)」となる。「丸=十」で合体すれば、薩摩藩の島津家の家紋となり、コンパスと曲尺の「日の丸」と同じ意味を持ってくる。これは「天地四方」であるとともに、陰陽の男女和合を暗示し、コンパスと曲尺を組んだフリーメーソンのシンボルマークとも同じである。
シンボルマークは「コンパス=円=天=男性」と「曲尺=四角=地=女性」の和合を暗示し、事実、シンボルマークは、男女が和合して睦みあう陰陽の股間を示している。男女和合とは、大地である女性に、男性の柱を立てる事を意味し、女性は子をなすため、男性自身を膣内に立てる必要があった。これが日本に残る「男を立てる」意味で神道の要になっている。御神木とはその意味で、天照大神を柱と数えるのも「木・主」で男根を持つ男性神でなければありえない。
古代中国神話に登場する伏義(男)の手に曲尺が、女媧(女)の手にコンパスが握られて互いに蛇の体で絡まるのも、互いに無いものを握り合う陰陽和合の真理を示している。
天地開闢の神代七代の最後に生まれたイザナミ命とイザナミ命は日本国土を形づくるため、高天原から地上に派遣され、イザナギ命が天浮舟から天沼矛を差し、泥の海を掻きまわして、滴り落ちた塩が固まったのがオノコロ島である。イザナギ命とイザナミ命はオノコロ島に降り立った後、石の柱を立てる。この柱を「天之御柱」と言う。イザナギ命とイザナミ命は体の違いを確認した後、柱をイザナギ命が右回り、イザナミ命は左回りに巡り、出会ったところで女神が「あなにやし、えをとこを」と言い、男神が「あなにやし、えをとめを」と言って、愛し合ったが、完全ではない体の子「蛭児(水蛭子)が生まれ、いくら生んでも完全ではない体の子しか生まれなかった。そこで、2柱の神は天に昇り神々の教えを聞いたところ、男神が声をかけてから回れということになった。すると、次々と良い子が生まれ、最初に淡路島が、次に四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の順で国土が生まれたという。これが「大八州」である。
一方、ユダヤの地では、ヤコブ(後にイスラエルと名乗る)が、天地を結ぶ懸け橋となるシーンがある。
「ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。とある場所に来たとき、日が沈んだのでそこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所に横たわった石を一つとって枕にして、その場所に横たわった。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」(「創世記」第28章10~12節)
以後、ユダヤでは神を「柱」とする風習が定着するが、最初に祭壇を築いて、エデンの東に柱を立てたのはアダムとされている。