(19)元出雲「籠神社」
籠神社は本伊勢である。しかし、伊勢三宮には含まれない。なぜか? 籠神社には、もう一つの「後ろの正面」があるからである。出雲大社である。出雲大社は不思議な神社で、本殿がそっぽを向いているのだ。普通、本殿は拝殿の方向を向いている。参拝する人々に向かって神様が相対している。ところが、出雲大社は、北に向かって参拝する人々に対して、本殿は南ではなく、西を向いているのである。出雲大社の参拝客は、常にそっぽを向いた本殿に向かって礼拝しているのである。
ここに秘密がある。西を向いている本殿の後ろ、つまり東の方向に何があるのか? 延長していくと、島根県から鳥取県、兵庫県を通って京都へ行きつく。そこは丹後である。丹後の一宮、籠神社である。
出雲大社の「後ろの正面」とは、籠神社なのである。これは何を意味するのか? 「元出雲」である。籠神社は元伊勢であると同時に元出雲でもあるのだ。事実、出雲大社の神職を代々務める千家氏と北島氏の系図は、国宝になっている籠神社の神職、海部氏の系図とかなりの部分が一致する。両者は、ともに徐福が引き連れてきた古代イスラエル人なのである。
徐福集団が最初に上陸した地は丹波である。かっての丹波は丹後と但馬を含めた大丹波であった。「魏志倭人伝」でいう「投馬国」である。投馬国は丹波国であり、出雲国でもあった。事実、丹の音符表記「彤」は「トウ」と読み、「投」と読みが同じになり、投馬国を「トウバ」と読めば、「馬=波=バ」から「トウバ=投波=彤波」となり丹波に置き換わる。いずれも海部氏が支配し、邪馬台国に匹敵する勢力を誇っていた。事実、籠神社は「山陰道一之大社」であり、出雲大社よりも格が上なのである。
出雲系の神社の社紋の多くは六角形の亀甲紋である。亀甲は文字通り、亀の甲羅であり、「亀」の象徴である。海部氏の祖先である椎根津彦は海亀にまたがり、亀は籠神社のシンボルでもある。事実、籠神社の裏社紋であるカゴメ紋をよく見ると、内部に六角形、すなわち亀甲紋が内包されている。つまり、亀甲紋を有する出雲大社の元締めは、亀甲紋を内包するカゴメ紋を裏社紋とする籠神社なのである。
出雲大社でも、社殿を立て直す遷宮が行われる。2013年、伊勢神宮の式年遷宮と出雲大社の遷宮が重なった。その理由についての公式見解はないが、神意が反映されるものである。そこで、籠神社を中心にして伊勢神宮と出雲大社を俯瞰してみる。伊勢神宮の内宮と伊雑宮は「鶴」で、外宮と籠神社は「亀」である。さらに伊勢三宮とした場合、それは「鶴」であり、対する「亀」は籠神社と出雲大社となる。いうなれば、伊勢神宮が「鶴」で、出雲大社が「亀」なのである。よって、伊勢神宮と出雲大社が同時に遷宮を行うということは、同時に動くことでもある。まさに「鶴」と「亀」が「すべった」このにほかならない。「カゴメ唄」において「鶴と亀がすべる」とは統一することで、伊勢神宮と出雲大社が同時に遷宮を行う意味に解釈できる。つまり、同時遷宮が行われると、何かが起こる。「カゴメ唄」の暗号は、そう告げているのだ。
「カゴメ唄」は未来預言である。近い将来、伊勢神宮と出雲大社が同時遷宮をしたならば、何かが始まる。その意味ですでに60年前から密かな動きがあった。金鵄は言う。「いずれ伊雑宮は復活する。本当の伊勢神宮としての社格が回復され、まさに本宮となる。内宮と外宮と併せて、伊勢三宮が並び立つとき、古代より預言されてきたことが成就する」と。
「伊勢神宮が甦った後、地上に天照大神が降臨する!」
「その時、だれもが天照大神の御姿をその目で見ることになる。そして伊勢神宮の使命もまた、それを持って終焉となる」
籠神社の伝承によれば、天女は籠の中の鳥のように輝きながら地上に降臨した。天女の正体は豊受大神であり、かつ天照大神のことであるという。伝承を字義的に受け止めれば、天照大神は古代の丹後に降臨したことになる。同じことが再び起こる。地上に降臨した天照大神が天に戻り、再び帰ってくる。いうなれば再臨である。近い将来、天照大神が再臨するのである。
暗号「カゴメ唄」における「籠の中の鳥」とは天照大神にほかならず、「いついつでやる」とは「いつ地上に戻ってくるのか」と問いかけているのである。