(15)神道と原始キリスト教
ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏は、高度な技術と機動性で瞬く間に日本列島全土に広がっていく。古代日本のインフラを築いたのは秦氏である。例えば、秦氏は多くの神社を建立した。稲荷神社や八幡神社、松尾神社、日枝神社、金刀比羅神社などは、みな秦氏が創建した神社である。渡来人でありながら、日本固有の信仰である神道を奉じた理由は、神道の本質がユダヤ教であることを見抜いていたからである。そのうえで秦氏は、神道の改革に乗り出した。ユダヤ教である物部氏の神道を乗っ取り、原始キリスト教である秦氏の神道に塗り替えていったのである。騎馬民族の大王である応神天皇は、失われたイスラエル10支族のガド族であったが、秦氏の血を引く原始キリスト教徒になっていた。大和朝廷が成立した時点で、日本の国教はユダヤ教から原始キリスト教へと変わっていたのである。
今日のユダヤ教は大預言者モーセの教えではない。バビロン捕囚の直前、紀元前7世紀に南朝ユダ王国でヨシヤ王が行った宗教改革以後の教義がもとになっている。頑ななままでの唯一神教としてのユダヤ教と、それ以前のユダヤ教、あえて言うなら「イスラエル教」は根本的に異なる。
ヨシヤ王の宗教改革によって、一神教としてのユダヤ教が顕教となることで、イスラエル教は密教、すなわちユダヤ教神秘主義カッバーラとして表から隠された。この状態でバビロン捕囚された南朝ユダ王国の人々は重要な教義を忘れてしまう。バビロン捕囚からパレスチナ地方に戻ってきたユダヤ人はもちろんだが、アケメネス朝ペルシャの領内に残った東ユダヤ人もまた、イスラエル教を忘れたまま、シルクロードを通って中国大陸に至り、やがて徐福に率いられて日本列島にやってくる。徐福集団の末裔である海部氏や物部氏が奉じる古代の神道が唯一神教であるのはこのためである。
顕教が強調されるあまり、ユダヤ教は一神教だと誤解された。密教であるイスラエル教は異端と指弾され、ついにはカッバーラの奥義に封印されてしまう。やがて、イスラエル教は原始キリスト教として地下水脈から湧き出た泉のごとく、歴史の表舞台へと広がることになる。イエス・キリストが説いた「御父と御子と聖霊」なる絶対神とは、まさにイスラエル教における絶対三神なのである。
このとき、顕教によって既得権益を手にする保守的なユダヤ人ユダヤ教徒たちは密教であるカッバーラを理解できず、これを完全否定した。ついには、イエスを磔にしたことは「新約聖書」が記すとおりである。しかし、キリストが命をかけて公開したイスラエル教だったが、皮肉なことに、後の教会が重要な部分を誤解してしまう。ユダヤ教の唯一神を意識するあまり、絶対三神を3つのペルソナを持って一人の神、いわゆる三位一体の神として解釈してしまうのである。問題は、御父なる至高の絶対神をヤハウェとみなしたことが致命的だった。イエス・キリスト自ら「ありてある者」、すなわち「ヤハウェ」だと名乗ったにもかかわらず、三位一体の思想で解釈してしまったがために、本来の至高神の存在が見えなくなってしまったのである。
ひとたび宗教会議において、三位一体説が正当と結論されると、それは神学の教義となり、異論を唱える者はすべて異端の烙印を押した。紀元2~3世紀にかけてキリスト教会は宗教組織となり、4世紀には古代ローマ帝国の国教となるに及んで、政治的な勢力になる。そうなると、イエス・キリストが説いた絶対三神の概念は完全に消失し、三位一体説は正当教義となった。
しかし、日本は違う。日本にやってきた秦氏はユダヤ人原始キリスト教徒である。エルサレム教団の末裔である。秦氏がもたらした原始キリスト教はイスラエル教であり、その根本には絶対三神に対するゆるぎない信仰がある。
応神天皇が日本列島に侵攻してきたとき、邪馬台国の王家である海部氏や物部氏は、さぞかし戸惑ったことだろう。信仰が異なっていたからである。同じ神道なのに、唯一神を奉じるユダヤ教ではなく、絶対三神を奉じる原始キリスト教だったからである。秦氏が掲げる原始キリスト教が正当であると認めるだけの極秘伝が海部氏にはあった。それで、応神天皇を受け入れたのである。