(14)騎馬民族と失われたイスラエル10支族
徐福集団の渡来から、いくつもの混乱を乗り越えて、少なくとも西日本に関しては連合国家という枠組みの中で平和的な秩序を構築した倭国であるが、4世紀に入ると、中国大陸の動乱の余波を受ける。朝鮮半島も戦場となり、多くの難民が日本列島に渡来してくる。やがて、一つの国を従えた王族が、新天地を求めてやってきた。騎馬民族である。夫余族の一派を率いる「辰王=秦王」が朝鮮半島の南部に拠点を築き、そこから九州へと上陸する。倭国の国を支配下に置き、5世紀ごろ、大集団を率いて畿内へと侵攻する。そして中央集権国家、大和朝廷を築くことになる。
東大名誉教授の江上波夫氏は、記紀神話を批判的に分析し、初代・神武天皇から第9代・開花天皇までは実在しない架空の存在としたうえで、最初に渡来した騎馬民族の辰王は第10代・崇神天皇に比定する。九州王朝を築いた後、畿内へとやってきた辰王を第15代・応神天皇であると主張する。世に言う、「騎馬民族征服王朝論」である。
4世紀、多くの渡来人が日本列島にやってきたのは歴史的事実である。籠神社の極秘伝によれば、この時、朝鮮半島から大集団を率いて渡来してきたのが、記紀で言う応神天皇であるという。東大名誉教授の井上光貞氏は江上教授の騎馬民族説を踏襲しつつ、朝鮮半島から直接、渡来してきたのが応神天皇であると主張する。まさに、それを籠神社の極秘伝が裏付けた形である。しかも、ここで重要なのは、朝鮮半島からやってきた騎馬民族の大王、後の応神天皇は邪馬台国を武力で征服したのではなく、あくまでも王権を譲り受けた形を取っていることである。すなわち、海部氏に入り婿をする形で王権を継承した。
よそ者が征服した民を治めるには、地元の王家と血族となることが政治的に有効であることは、洋の東西を問わず歴史が証明している。だが、日本は特別である。邪馬台国は抵抗らしき戦闘をした形跡がない。まるで、最初から迎え入れる準備があったかのように、王権を移譲している。これは何を意味するのか?
鍵は、イスラエルである。先に「多次元同時存在の法則」を紹介したが、適用できるのは神々である。生身の人間に多次元同時存在の法則を適用できない。だが、戦後の批判歴史学において、神話的なエピソードに彩られた初代・神武天皇は勿論、殆どの歴史的な記録がない第9代・開花天皇までは実在しなかったというのが今日の歴史学の定説である。これを踏まえて、歴代天皇の諡号を見ると、「神」と言う文字を持つ天皇は神武天皇、崇神天皇、応神天皇の3人である。籠神社の極秘伝によれば、「神」の名を持つ3人の天皇は同一人物だと断言する。正確に言えば、実質的に大和朝廷を開いた初代大王の業績が3人の人格に分割されて、記紀に記されているのである。つまり「神武天皇=崇神天皇=応神天皇」と言うことなのである。
なぜ、邪馬台国の王権を握る海部氏は、応神天皇を受け入れたのか? 理由は同族であるからである。記紀によれば、ニギハヤヒ命は神武天皇に先立って九州から天磐船に乗って畿内へと降臨し、ご当地の支配者の王家に入り婿と言う形で権力を手に入れた所へ、神武天皇が侵攻してくる。義理の兄である長髓彦が徹底抗戦するも、最終的には敗れ、ニギハヤヒ命は調停役を買って出る。ニギハヤヒ命が神武天皇と対面した時、互いに天神の子である証拠「天羽羽矢」と「かちゆき」を差し出し、これを認めた。かくしてニギハヤヒ命は神武天皇に恭順する意を示し、大和国が樹立したという。
海部氏及び物部氏は徐福集団の末裔であり、イスラエル系である。彼らの象徴であるニギハヤヒ命が印を持って神武天皇を同族と認めた。つまり、神武天皇、すなわち応神天皇もまたイスラエル系だった。もっと言えば、応神天皇の方が、格上の王権を象徴するレガリアを持っていたからである。
古代イスラエル人のレガリア、それは王権神授の象徴、絶対神ヤハウェの神器である。ユダヤ教には三種の神器があった。契約の聖櫃アークに収められた「モーセの十戒石板」と「マナの壺」と「アロンの杖」である。いずれもバビロン捕囚を境にして歴史上から消えた。このうち、マナの壺は日本に存在することが判っている。マナの壺は海部氏にとって「天神のしるし」なのである。マナの壺を持ってきたのは神武=応神天皇だった。ニギハヤヒ命と「天神のしるし」を見せ合ったとき、信頼の絆として互いに交換したことも考えられる。
「ミカド」とはヘブライ語で「ガド族出身を意味する。ガド族は失われたイスラエル10支族の一つである。マナの壺はガド族が継承したという。騎馬民族の大王たる応神天皇がマナの壺を携えて、邪馬台国に乗り込んできた可能性がある。その証拠が古墳である。ここで重要なのは形である。方墳の方が先細りで台形なのである。特に最大の前方後円墳、すなわち仁徳天皇陵を見ると、両サイドに耳のような部分がる。専門的には「造出」と呼ぶが、円墳の部分が下になるようにして眺めると、壺に見える。前方後円墳は壺を象っていたのである。前方後円墳が壺であるという説は学会でも有力視されるようになった。
イスラエルの三種の神器の一つが、マナの壺で王権のシンブルに他ならない。マナの壺を継承したガド族は騎馬民族となって朝鮮半島から日本列島に侵攻してきた。圧倒的な武力を背景に倭国を征服し、邪馬台国の王家である海部氏(記紀でニギハヤヒ命として象徴された王)と対面し、そこでイスラエル人である事を確認する。入り婿を条件に邪馬台国及び倭国の支配権を譲る代わりに契約のしるしとして神武=崇神=応神天皇は自らが持つマナの壺を海部氏に差し出した。以後、それは卑弥呼一族の宗家である籠神社の海部氏がご神宝として預かることになったのである。