(27)ポールワンダリングの歴史を年代順に整理する!
修正ヴェリコフスキー理論を基として、地球が180度逆転したポールワンダリングを、年代順に整理してみる。まずは、大洪水以前だが、当時の東は今の東と同じだった。さらに、ヘブライやエジプトの記録が大洪水以後、太陽が西から昇る異変が起きたと記している。よって、聖書で言う「エデンの園も東」とは現在の東の方角を示していることになる。
ポールワンダリングの表記を大洪水以前の時代なら(P0度目・東昇り)と表すことにする。「P」はポールワンダリングで、数字は回数、「昇り」とは太陽が昇る方角の事である。
(第1回目のポールワンダリング)
紀元前2344年頃のポールワンダリングから始める。その時に、初めて大地と天界との決め事が崩され、改まることになったとある以上、大洪水の時に方位が逆転し、太陽が西から昇ったことになる。→(P1度目・西昇り)
次に、紀元前2200年頃、天にも届くほど巨大なバベルの塔の時代に、再び惑星ヤハウェは地球に大接近する。
「東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住みついた」(「創世記」第11章2節)
シンアルとは、バベルの塔があった地の名前で、今のイランとイラクの国境地帯付近だと考えてよい。そこがバベルの塔を彷彿させる聖塔の発祥であり、バビロンの都もそこにあった。当時の方位が今とは逆だったことは、聖書の記述から判明する。ノアの箱舟が漂着したのは、トルコのアララト山系だったと記されている。また、古代ユダヤの聖典の翻訳者、タルグムが記した「歴代史上」には、「悪玉ニムロドは、エルサレム王セム(ノアの子)に逆らい、人々をニムロドのしきたりに取り入れた」とも記されている。つまり、セムを離れたニムロドが、一緒になって反旗を翻した一団と共に、エルサレムから移動した以上、彼らは東から来るはずがない。なぜなら、エルサレムは西に在り、その彼方は地中海しかないからである。よって、この時代の地球の方位が逆だったことになる。ニムロドが雲を貫くような大塔を建てたとあるのは、嘘ではない。だが、ニムロドの建てたバベルの塔は破壊される。このバベルの塔の破壊こそ、再び惑星ヤハウェが地球に大接近し、ポールワンダリングを引き起こした証拠なのである。→(P2度目・東昇り)
(第2回目のポールワンダリング)
紀元前2000年以前には、世界のどの碑文にもなかった金星が、突如として顔を出す。木星から新たに噴出したのである。灼熱の金星が地球に大接近してきたのが紀元前1290年頃だった。その時代には、モーセがエジプト王の前で、ナイル川と大地を血の色に染めたり、異常気象を引き起こしたりすることになる。その結果、蚊や虻や蛙が異常発生することになり、今まで知らなかった疫病が発生し、天空から巨大な燃える雹が降った。さらに東から暴風を吹かせ、イナゴを送り込んだり、3日間夜にする奇跡を起こしたのである。
「人々は、3日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいるところにはどこでも光があった」(「出エジプト記」第10章23節)
ファラオが折れたのは殺戮の天使が通り過ぎる奇跡で、エジプト人の長男が、自分の子も含め、全土で多数死んだからである。今もユダヤ暦の1月14日に行われる「過越しの祭り」は、この時の殺戮の天使が通り過ぎた記念の日だが、天を翔ける者が通過する意味にも取れるだけに暗示的である。
「430年を経たちょうどその日に、主の部隊は全軍、エジプトの国を出発した」(出エジプト記」第12章41節)
この奇跡を、金星の大接近で引き起こしたものとヴェリコフスキーは断定したが、3日間の暗闇はポールワンダリングの結果ではなく、磁力線交差が生み出す暗黒プラズマ現象である。
モーセの奇跡は天体の異常接近と深く関わるだけに、地上は絶えず潮汐作用や磁気嵐を受け続け、その程度は徐々に巨大化していく。そして最後に、世界最大の奇跡ともいう「紅海割れ」が起きるのである。この時、巨大彗星(金星)が、強力な磁場で紅海の海水を分断させ、ポールワンダリングを引き起こす。このあたりが、巨大彗星(金星)は地球に接近したり、離れたりしながら、地球と非常に近い軌道を並行しながら動いていたことになる。この巨大彗星最大の大接近で、地球は大きくポールワンダリングを起こし、太陽は西から昇るようになる。→(P3度目・西昇り)
(第3回目のポールワンダリング)
更に紀元前1250年頃、金星が再び地球に大接近する。モーセに率いられてシナイ半島を彷徨っていたイスラエル人は、一部を残し、全員が入れ替わっていた。そしてヨシュアも、モーセの後を引き継いでいた。つまり、モーセたちが40年間も砂漠にいたのは、その機会が巡ってくるのを待っていたからである。聖書学的には、当時のイスラエル人がモーセの言うことを聞かず、偶像を造り、神から離反する罪を犯したので、絶対神ヤハウェが約束の地に彼らを入れない罪を下したとされている。しかし、同時にそれは、モーセの紅海割れを引き起こした金星が再び戻ってくるのを待つ期間だったのである。このヨシュアの時代に方位が入れ替わり、現代と同じになったことは「旧約聖書」に記されていることからわかる。金星が再び大接近してきたとき、ヨシュアは約束に地に入る。その際、ヨシュアはモーセの紅海割れと同じく、実際にヨルダン川の水を割る奇跡を行うことが出来たのである。これが「ヨルダン川割れ」の奇跡である。
「全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁の様に立つであろう」(「ヨシュア記」第3章13節)
これは、灼熱の巨大彗星だった金星の磁力線が、地球の磁場を押し退け、大地を這った証拠である。その時、ヨルダン川の水は、はるか遠くのツァレタンの隣町のアダムまで引き、壁のようにそそり立ったという。その結果、アラバの海に流れ込む水はすべて絶たれ、古代イスラエル人はエリコに向かって進撃することが出来たのである。
さらにヨシュアはエリコで堅固な城壁を言葉で破壊する奇跡を起こす。それは金星の潮汐作用と凄まじい磁気嵐が加わったからである。
出エジプトの際に起きた方位の逆転、太陽の運行の逆行を、ヨシュアが再び起こす時が出来たことを、この時のヨシュアの言葉を通して大きく感じ取っていたということである。太陽が東から昇ることを告げたヨシュアの言葉ほど、この時のイスラエル人に有り難いものは無く、出エジプトを可能にした絶対神の庇護を得たに等しい保証だったからである。
(第4回目のポールワンダリング)
アリモ人と戦った際、天空から巨大な雹を降らせ、ベト・ホロンの坂でアリモ人に大打撃を与えた奇跡がそれである。その間、ヨシュアが主に頼むと、太陽は中空に静止し、月までが動かなくなった。これは極移動が起きた証拠であり、太陽と月が静止したように見えた以外何物でもない。
「日よ とどまれ ギブオンの上に 月夜とどまれ アヤロンの谷に。日は とどまり 月は 動きを止めた 民が 敵を打ち破るまで。ヤシャルの書にこう記されているように、日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとはしなかった」(「ヨシュア記」第10章12~13節)
ヨシュアの奇跡が起きた後、地球の東西が入れ替わり、そのまま現在に至っている。ヨシュアのカナン征服の時代、再び地球の方位は入れ替わり、太陽も東から昇ることになる。→(P4度目・東昇り)