(23)ノアの大洪水以前の海水は、今ほど辛くなかった!
箱舟から出た鳥や昆虫は羽ばたいて四方へ散って行ったが、その頃、既に陸地では植物の種が芽を出し始め、草花が生い茂る兆候を見せ始めていた。事実、オリーブの葉をノアが解き放った鳩が加えて戻っている。オリーブだけは、生命力が極端に強い木であるため、条件次第では1年なら生きられる可能性があるという。仮に一部の細胞でも生きていれば、そこから発芽する植物だという。しかし、大洪水でなぎ倒された樹木は、水に浮いたまま泥の海を塊になって漂っていたと思われる。そこで泥が乾き、茎や枝に付着した種が泥から顔をだし、既に草や花を咲かせていたものがあったかもしれない。なぜなら、地の底から噴き出した水は塩水ではなく、天から一挙に降った雨は、比重の関係で塩水よりも上部を覆っていたはずだからである。よって、漂着するまでの間、木々の塊に付着した植物の種が、塩水に浸かる可能性はなかったと思われる。さらに言えば、ノアの大洪水以前の海は、塩辛くなかった可能性がある。海の水が塩辛いのは陸地にある岩塩が雨水で溶け、最後に海へと流れ込んだからである。さらに、ノアの大洪水が終わった後、通常の雨が全く振らなかったとは聖書に書いていない。雨は今と同じ様に降っていただろうし、海面を漂う木々の上にも降り注いだに違いない。こうして、その浜辺に打ち上げられた若木や草花はそのまま残り、樹木に付着して漂着した種もそこで芽をだし生長していったのであろう。
箱舟から出た動物たちは、瞬く間に子供を生み増えていき、やがて群れを作って世界中へ広がって行った。この時、地球内部のプラズマ活動は活発化し、何度も磁極が移動していたことが海嶺から沸き出すプレートに残された磁気跡からも判明している。これは、当時の地球の磁場が、メリーゴーランドのように移動していたことを示している。高速プレートテクトニクスが示すように、磁場逆転時期が数年、あるいは数百年単位で起きていた可能性がある。プラズマ現象が活発化し、地球全体を覆っていたかもしれない。つまり、地球内部からプラズマが拡大してきたということである。そうなると、ノアの大洪水後の謎とされる「食物連鎖の謎」が解き明かされるかもしれない。肉食動物の場合、草食動物を捕食することで、自分たちの生命活動を維持している。草食動物も同様である。食物連鎖が行われていたならば、絶滅する動物がいてもおかしくはない。そこで、エデンの園の時代の様に、光(プラズマ)が生物の細胞にエネルギーを与える環境であれば、人間を含むすべての生物が捕食活動なしで生命活動を維持できることになる。そういう状態だった証拠が、短期間に何度も地球磁場が入れ替わる異常現象として、古地磁気に残されている磁気移動かもしれないのである。当時の地球は、地球内部から膨張してきたプラズマにより、地表全体が光で覆われていた可能性がある。
そういう中で、大陸が分かれる時、群れごと引き離された動物もいたはずである。その典型の一つが猿「レムール」であり、日本とユーラシア大陸に分布する「オサムシ」である。オサムシは、移動することが出来ないユーラシア大陸の昆虫である。それが日本にいることは、日本列島の一部が、大昔にユーラシア大陸から離れてきた証拠となる。では、南米と南部アメリカの大西洋側で、化石として発見される恐竜「メソサウルス」についてはどうだろう。答えは、大洪水で死滅したメソサウルスを大陸移動で運んだに過ぎないということである。さらに言えば、化石は百年もかからずに作ることが出来る。事実、ニジェールの砂漠の下から、炭素14年代測定法で1万から7万年前の年代測定が出る、恐竜「ウーラノサウルス・ニゲリエンシス」の骨が見つかっている。(化石ではなく骨である) アカデミズムは当然答えが出せない。これこそが、炭素14年代測定法が誤りであり、斉一論の矛盾を大きく露呈した実例の一つである。
炭素年代14測定法の欠点は、恐竜時代も現代も大気組成が同じで、炭素14の量も同じだと決めつけたことである。恐竜時代の琥珀の空気の泡を分析したところ、酸素の比率が2倍近くあり、二酸化炭素も多かったことが確かめられている。つまり、分数の分母の数が間違っており、数千年を数千万と言う数値にしてしまうからである。
アカデミズムは巨大哺乳類が絶滅した理由を、環境の激変と説いたが、それ自体は間違いではない。間違っているのは、新生代の年代特定であり、環境激変の最大の原因を氷河期においている点である。もちろん、ポールシフト、ポールワンダリングなどは考えもしない。しかも、最大の問題は、斉一論の極致ともいう「進化論」の推奨にある。これほど証拠も無く居座る空論は言語に絶する。
ミッシングリンク(失われた環)とは、猿と人間の間がいないことだけを言うのではない。現在地球上に生息する200万種を超える全生物それぞれの、各進化段階の間の失われた環を数えると、殆ど天文学的になる。ミッシングリンクの総数は、現存生物種の数をはるかに超える。実にバカバカしい結果に至るのだが、それなのに、その中のただ一つも発見できないのである。それが進化論の正体である。