(16)北極・南極の氷床はつい最近できたものである!
氷河期という名称を作ったのは、ドイツ人のカール・シンパーだった。アカデミズムが唱える氷河期というのは、6500万年前の恐竜絶滅の後、周期的に地球を襲った寒冷化の時代の総称である。これが世界的規模で起きたことは、世界中の高山の頂上付近にある半欠け椀状のU字型の谷である「カール地形」や、巨大な鋼鉄のキャタピラが削った様な「波状地形」が存在することからも推測できる。
1865年、スイスの博物学者だったルイス・アガシーは、赤道直下の南米に氷の痕跡と思われる地形を発見した。それと同じ頃、アフリカにも氷が広がった跡が発見され、やがてインドやマダガスカル島でも同様の氷の痕跡が発見された。アフリカの氷床の跡は、厚さ1000mを超えるほど、巨大な物だった。そのため、氷河期に地球全体が冷凍庫の中に入れられた状態だったという学説が誕生することになる。
また、ヨーロッパやアメリカでは、2万トンを超える巨大な岩が、運び出されたと思われる山から数百キロも離れた平原で発見されることがあった。これと同じ岩は、ニューヨークのセントラルパークにも存在し、「迷子石」と呼ばれている。
昔は、「ノアの大洪水」で流された時の巨岩だと思われていたが、近くの岩山や岩盤に刻まれた氷河の「擦痕」が発見されたり、砂と石の集まった小山「モレーン」などの研究から、やがて巨大な氷河が運んできた物と判断する。
氷河期についてのアカデミズムの主流の概念は、次のとおりである。氷河期は、100万年の間に地球上で7回も発生し、2万5000年前に起きた最後で最大の氷河期「ヴェルム期」の際、両極地方では氷が最大限に増大し、そのまま内陸深くまで及んでいった。中でも1万8000年前の最盛期には、地表の30%以上を厚さ4000m近い氷床が覆い尽くし、世界中の海面の高さが今よりも100mも低くなったと考えられる。現在ではグリーンランドと南極にその時の氷床の面影が残されているが、今はこの2か所で世界中の氷床の97%が占められ、南極大陸だけで、ヨーロッパ大陸よりも広い面積の氷床が存在している。また、最大の氷河期の時代には、アルプスよりも高い山脈が氷から頭を出し、氷床の暑さも3600mを超え、たとえ氷床がない陸地があっても、そこの気候が温暖ということではなく、絶え間ない寒気にさらされていたという。さらに、氷河期が世界を覆い尽くした証拠として、温暖地方の高山に生息する寒帯の植物の存在や、寒帯を好むサケ科の海水魚が淡水魚化したイワナの存在が挙げられる。それらの生物が現在でもそこに生息する以上、かってそこは寒冷地だった証拠になる。
しかしながら、なぜ、氷河期のように地球が冷凍庫に入ったような時代が訪れたのかという根本的なメカニズムの問題に論点を移さねばならない。アカデミズムの唱える3つの仮説を紹介する。
①太陽放射異変説
太陽からの放射エネルギーが極端に減少する事態が起きた場合、地球は一挙に冷えて氷河期に突入する。例えば、太陽黒点の数が増えると、地球に強い磁気嵐が起こり、両極のオーロラ現象が活発化する。だが、黒点の寿命は数時間から数か月であり、約11・1年の周期で増減を繰り返しはするが、それが地球の気温を変化させる原因とはなっていない。
②地球大気異変説
太陽側では異変が起きなくても、地球側で大異変が起きた場合、同様の寒冷現象が発生するという理屈である。この説は構造地質学的にも問題が多く、非現実的だと言わざるを得ない。
③宇宙空間物質説
宇宙空間に大気を寒冷化させる特殊な空間があるという説である。ただ、この仮説の欠点は、暗雲のような宇宙空間物質が太陽系の周囲や内部のどこを探しても存在しないことである。
以上のどの仮説にも、数万年周期の氷河期がなぜ起こるのかという根本的な原因が全く付加されていない。それに氷河の跡が全くない地域が、地表の70%もあるという事実が、それらの仮説を否定せざるを得ない。
④天文学的アデマールの仮説
フランス人のアデマールは、周期的に発生する氷河期の原因を地球の太陽における周回軌道の変化によると考えた。地球の地軸が公転面に対して23・4度傾いているため、楕円形自動と共に地球上に四季を生む要因になっている。地球は傾いた地軸のまま自転するため、公転軌道面に対して0度の地点を中心にした右回りの周回を行う。ただし、実際の0度地点は地球自体が自転するために線となり、これを「歳差運動」という。そしてそれは、両極の空間上で円を描きながら2万6000年で一周する。北極上空からだと、歳差運動は右回りとなるがそれは太陽と月が地球の赤道上のふくらみに及ぼす引力に影響され、地球軌道上にある4つの方位点が、軌道の上を少しずつ位置を変えていく原因にもなっている。この歳差運動によって、公転移動における冬至の位置が、少しずつだが確実に移動するため、太陽から最も遠い位置で冬至を迎えた場合、同じ冬至でも北半球側は太陽から最も離れるため、北半球が氷河に覆われるようになるとアデマールは考えた。しかし、アデマールが指摘した仮説では、氷河期を生み出すほど寒冷化しないことが明らかになった。
⑤クロール仮説
クロールは、アデマールが指摘した公転軌道それ自体に着眼点を置く。彼は、楕円軌道に対する新たな発見をする。つまり、楕円軌道が平たくなるほど、冬至点で地球が寒冷化することを突き止めたのである。地球は楕円軌道が真円に近い楕円軌道から、極端に平べったい楕円軌道に至るまでの間を周期的に変化すると考えた。極論すれば、円から楕円、楕円から円、そして再び楕円というように、地球の公転軌道は10万年周期で変化するとした。
⑥ミランコビッチ仮説
ミランコビッチは、クロール仮説の再検証をしたところ、クロールが無視した地軸の傾きの中に思わぬ氷河期の要因を発見することになる。彼は、地軸の傾きが23・4度で一定ではなく、23・5度の間を変動している点に着目した。回転の中心点がわずかに振れている点にスポットを当てた。この現象を「チャンドラー揺動」と呼ぶ。日本でも船乗りの間では北極星が動いていることが知られていた。つまり、日本でもチャンドラー揺動が知られていたのである。この現象から判明することは、歳差運動は正確な円運動を描くのではなく、ギザギザ状の円を描いているという点である。それで、氷河期を説明する要因の中に、一つの革命的示唆を導入する。つまり、彼は、冬がどれほど寒かろうと、それはあくまでも冬の現象であり、地球規模からみると些細な気候現象に過ぎない。それよりも、寒くなった夏にこそ問題があると説いたのである。そして、彼は数値的に証明し、夏が寒冷化する天文学的原因の一つが、地軸の傾きの減少だと断言したのである。地軸の傾きの減少によって発生する地球の寒冷化が、極地方では最大値を示し、赤道付近では最小値になることを証明した。
ミランコビッチは、地球に氷河期を超す原因を、「歳差運動」「離心率」「地軸の傾き」に置くことで、氷河期の周期を数学的に証明したのである。
だが、残念ながら、ミランコビッチ・サイクルだけでは氷河期そのものの謎を解いたことにはならない。その理由は、マンモスの急速冷凍の謎が、ミランコビッチの理論だけでは解き明かすことができないからである。つまり、氷河期が瞬間的に襲ってきたことを説明できないからである。ミランコビッチ・サイクルの注目点は、地球の寒冷化の原因が地軸の傾きにあるとした部分である。なぜなら、北極と南極は今でも氷河期であるからである。