(13)ヘロドトスが残した太陽運行の異常の記録
日本では、四方の事を「東西南北」といい、中国では「東南西北」、米国では「北東西南」の順で言う。東西の方位が入れ替わり、さらに太陽が逆から昇るような現象とは何が原因で起きるものか検証する。人間がこれまでに残した記録の中に、太陽が西から昇ったとする記述が、数多く存在する。それどころか、太陽が異常な運行をしたという記録まで見つかったのである。
「歴史の父」と呼ばれる古代ギリシャのヘロドトス(紀元前484年~425年頃)も、こうした記録を残した人物である。ヘロドトスが残した「歴史」の中に、エジプトの項を見ると、エジプトの神官から聞いた話として、「エジプトの王朝が誕生して以来、太陽が逆から昇った時代が2度あった」と記している。即ち、現在の太陽運行から見ても逆行が2度あったということで、2度は西から東へと太陽が逆行し、2度は現在と同じ東から西へ運行したという意味となる。
それと似た記述が古代中国にも残されている。記述者は儒教の開祖である孔子(紀元前551年~479年)である。孔子が「書経」の中で、ヘロドトスと同様な記述を書き残していたのである。
「尭(ヤオー)帝の代に、日の出と日の入りの方向が入れ替わった為、東西南北と四季の長さと暦を新しく定めた」
もしそうならば、殷の時代は紀元前1600年から1120年なので太陽の運行の異変は、その間のいずれかの時代で起きたことになる。秦の始皇帝(紀元前259年~210年)が、古代中国のあらゆる文献を焚書したとされる。そのため、孔子がどのような古文書を参考にしたのか定かではないが、ヘロドトスに語った神官の話からも、古代に重大な異変が起きていたことだけは確かである。
中央アメリカの原住民は、異常な太陽の事を「テオトル・リクスコ」と呼んだが、その意味は「東に向かう太陽」である。これは明らかに逆行する太陽の事であり、彼らは西から昇る太陽を見ていたことになる。ところが、太陽の運行の異変は、西から昇っただけでなく、途中で動かなくなったり、天空の途中で逆行したという記録まで存在するのである。「旧約聖書」の中にその記述がある。
「日よ、とどまれ、ギブオンの上に。月夜、とどまれ、アヤロンの谷に。日は、とどまり、月は動きを止めた。民が、敵を打ち破るまで。「ヤシャルの書」にこう記されているように、日はまる1日、中天にとどまり、急いで傾こうとはしなかった」(「ヨシュア記」第10章12節)
ヨシュアが、モーセの後を引き継ぎ、約束の地「カナン」の征服を始めたが、紀元前1250年頃なので、少なくともその時代に太陽が静止する何らかの出来事が起きたことになる。さらに「旧約聖書」の別の時代に、一時的に太陽が逆行した記録が記されている。
「イザヤは答えた。ここに主によって与えられる印があります。それによって主は約束なさったことを実現されることが分かります。影が十度進むか、十度戻るかです。ヒゼキヤは答えた。影が十度伸びるのは容易なことです。むしろ影を十度後戻りさせてください。そこで預言者イザヤが主に祈ると、アハズの日時計に落ちた影を十度後戻りさせられた」(「列王記・下」第20章9節)
イザヤの生きた時代は紀元前750年頃なので、その頃の太陽の運行にも何らかの異変が起きたことになる。さらに古代アメリカの伝承の中に、太陽が姿を消した暗黒の時代のくだりがある。マヤの伝説には、「何処に新しい太陽があるのか、我々には分からなかった」とあり、「我々は、あらゆる方角を見たが、何処に太陽が昇るのかを言うことが出来なかった。しかし、東にあるという男の語る通り、やがてそれが正しいことが分かった」とある。→わざわざ記録として後世に残したことは、それが単純な異変ではなかったことを証明している。つまり、太陽の運行に大異変があったのである。我が国の「古事記」の「天照大神の岩戸隠れ」の項にも、太陽が何日も昇らなかった記述があり、世界中の記録とも符合する。
もっともわかりやすい説明は、地球の自転が静止したとすることである。すると、太陽の運行も停止し、反対側では闇が支配し夜が続くことになる。さらに、その後、地球の自転が逆回転すれば、太陽の運行も西から東へと逆行し、めでたしめでたしとなる。しかし、それは間違いである。高速度移動する物体に急ブレーキがかかったら、その物体に乗っている人間は移動速度のままに放り出されてしまう。これを地球規模で置き換えれば、地球上の物体が、時速1666キロの速度で東の空に吹き飛ばされてしまう。そういうことがない以上、地球の自転自体に異変は起きなかったことになる。実はこの謎を解く鍵が、ホピ族の預言の中にある。
「創造主への祈りを絶やさなかった人々は助かり、全てが厚い氷の下に閉ざされてしまった。この巨大な氷により悪から浄化された大地は、第3の世界を受けることになった」
厚い氷とは何か?巨大な氷の意味は何か? それらが南北の世界が引っ繰り返った直後に襲ったとホピ預言は述べているのである。なぜなら、その激変から逃れられなかった人間たちの事も暗示されているからである。そうなると、そこにいた多くの動物たちも巻き込まれたことになる。その中にははたしてマンモスも含まれていたのだろうか? ホピ預言の中には厚い氷とあるように、氷河期の謎を解く鍵も隠されているようである。
「氷床」」とは、地球の両極にしかできない巨大な氷の平原の事であり、氷帽や氷冠とも言われている。平均でも厚さ1600メートルを超える南極大陸の氷床は、高山の谷間にできる氷河の比ではなく、その規模は地球上でも最も圧倒的な存在である。そのため、グリーンランドも同様である。ところが、地球の両極以外に、大昔そこに居だな氷床があった痕跡が発見されているのである。大規模な調査が行われ、モロッコ、モーリタニア、アルジェリア、ニジェール、チャドからも同様な巨大な氷河の後が発見されている。南極大陸と同じ氷床が大昔のサハラ砂漠に存在したという結論に至ったのである。つまり、サハラ砂漠は極地方だったことになる。それが今赤道付近にある。この謎は何か、氷河期に絶滅したというマンモスとの関係は有るのか検証したい。