(12)かって太陽は西から昇った!
太陽が東から昇り、西へ沈むのは誰でも知っている。だから、仏教でいう日没の世界、すなわち死後の世界を「西方浄土」という。アジア人が西を重要視するのは「旧約聖書」に記述があるからである。
「こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムときらめく剣の炎を置かれた」(「創世記」第3章24節)
アダムがエデンの園を追放された後は東の方向に住み、そこに太陽を象徴する「きらめく剣の炎」が配置された。これを逆説的に見ると、その反対の西には、アダムの故郷であるエデンの園があったことになる。これが西を別格とする最初の記述であり、有史以降になると、ノアの箱舟が漂着したトルコからイスラエル一帯を西アジアと呼ぶように、聖なる都エルサレムがある方角も、仏教界では特別な方位として重要視されたことになる。なぜなら、釈迦も「旧約聖書」を知っていた証拠が出てきたからである。
「ハラクテ」と言う言葉は、古代エジプトの西方の太陽と言う意味だが、古い碑文には「ハラクテ、西に昇る」とあり、現在の太陽の運行とは全く逆の運行が記されている。さらにピラミッドで発見された象形文字に、「太陽は西になく、新たに東で輝く」と刻まれたのはなぜなのか?
ラテン学者ガイウス・ユリウス・ソリヌスは、エジプトの南端に住む人々の奇妙な伝承について次のように紹介している。
「この国の人々は、昔、太陽が昇った方角に今は沈むという伝承を残している」
ギリシャのソフォクレスが書いた史劇「アトレウス」にも、古代神話の断片から、「ゼウス神は太陽の経路を変えてしまった。そして、西からではなく東から昇らせた」と記している。
古代ヘブライの伝聞書「ユダヤ伝経のサンヒドリン篇」にも、「大洪水の7日前に、絶対神は太古からの状態を改め、太陽を西から昇らせ、東へと移した」とある。
さらに古代アメリカの末裔であるメキシコのインディオ達も、西から昇り東に沈む太陽の事を「テオトル・リクスコ」と呼んでいる。これらの西から昇る太陽の古代記録と伝承の数々は、一体何を物語るのであろうか?
正確に言えば、現在でも、太陽は必ず、東から昇り、西へ移動するというのは間違いである。それが通用しない場所が2か所ある。その場所とは、北極と南極である。共に地球の両極であり、北極なら夏至の日、南極なら冬至になるが、一日中太陽が沈まない不思議な現象が起きる。その時期の太陽の動きは、地平線の上を一周する経路を取る。すなわち、太陽は東から北へ移動し、さらに西から南を通って、東へと移動する。このように確かに太陽は極地では、西から東へと移動し得るのである。極地方では、異常な動きをする太陽が観測される。これが北極の夏至の日なら、南天は沈まない太陽の最高点となる。こんな奇妙な現象が極地で起きるのは、地球の地軸が23・4度も傾斜しているからである。
北極なら夏至、南極なら冬至の日、地球が太陽に23・4度傾斜したまま自転する為、影が傾斜角度分だけ、極地に入ってこれず、太陽が360度の全天を一周してしまうのである。また、極圏から極に向かうほど、明るさは増していく。そして極点になると、そこでは1年の半分に昼、残りの半分に夜が連続して続くのである。この異様な極地の昼夜の分岐点が、春分と秋分となる。その原因は「地軸の傾斜」と言うことになる。
金星の地軸傾斜角度が177度であり、地軸が完全に引っ繰り返った状態である。これは、金星の自転が他の惑星と比べると、逆回転していることになる。すると、金星から見た場合、太陽は東からではなく西から昇ることになるだろうか?
太陽系惑星のうち、自転方向が逆なのは金星だけである。金星だけが逆回転しており、他の惑星はすべて反時計回りに自転している。ただし、海王星の衛星トリトンだけは時計回りに公転するが、その原因は、大昔にトリトンが海王星の引力圏に捕まった為と推測されている。その他にも、小惑星の衛星が時計回りに公転することがあるが、それは火星と木星の間にあった惑星フェイトンの破片であり、計算に入れていない。では、地軸傾斜が、古代人が残した南北逆転と太陽経路の逆転の原因だったのだろうか?
結論を先に言えば、地軸傾斜だけでは、古代文明の人々が残した異常な太陽の動きは説明できない。地軸が180度傾斜しただけでは、自転方向が逆になっただけで、方位(東西)までは入れ代わらないのである。
地球儀の日本に東西南北の方位戦を描き、地球儀を反時計回りに回転させながら、柄を反対に引っ繰り返すのである。すると、地球儀の回転方向が、前とは逆の時計回りになっていることが分かる。そして部屋を暗くし、太陽に見立てたライトを地球儀に当てれば、さらにわかりやすい。地軸傾斜と共に南北が逆転したが、当然N極とS極も逆転する。すると、逆の逆という東西方向が相殺され、太陽は従来と同じ東から昇ることになる。
異変以前の太陽が昇る方向の景色を覚えていた人間に、地軸が180度傾斜しても、太陽が逆行するようには見えない。地上の人間にとって、それまで東と呼んでいた方角の景色が変わるだけで、以前とは何の変りも無く推移するからである。さらに言えば、地上から見る星々の回転方向も同じ時計回りである。
整理すると、現在でも地球が反時計回りに自転している以上、地上から見える天空の星々の動きは、北半球側なら北極星を中心に時計回りに動いているように見える。つまり、電車に乗った場合、景色が進む方向とは逆に動くように見えるのと同じで、地球の自転方向(反時計回り)とは逆に、星々が動く(時計回り)ように見えるのである。よって、たとえ地球に地軸移動が起きたとしても、太陽の運動が変化しないのと同じく、南北が逆転しても、自転が一度停止して逆回転したわけでない以上、地上からの自転方向には何らの変化も起きないのである。
しかし、これでは、古代文明の残した太陽の逆行の謎は解けない。地軸傾斜では、その謎は解けないのである。なぜなら、センムートの天球図は南北が逆転している以上、東西南北が逆転しているからであり、太陽が西から昇ったという古代エジプトの記録が、大きな意味を持ち始めるのである。はたして古代の地球に何が起きたのだろうか?