(8)モーセの奇跡と科学的考察
紀元前1290年、古代イスラエル人たちはモーセに率いられてエジプトを脱出する。このことは、世界史の上でも事実になっており、作り話ではない。ただ、イスラエルに伝えられる、その時の奇跡が余りにも非現実的に見えるので、アカデミズムは奇跡の部分だけを神話として扱い、全てを実際の出来事として見ていないだけである。
しかし、今や世界の限られた範囲だけを見て判断する時代ではなく、宇宙規模の目を持って、この時代に起きた奇跡の数々を眺めなければならない。そうすれば、それを現実的な出来事として見ることができるのである。
この時代に起きた数々のモーセの奇跡は、旧約聖書の「出エジプト記」に記されており、その中には天空を舞台にした数々の出来事が描写されている。ここでは、ヴェリコフスキーが指摘した部分をさらに紹介し、実証科学的な立場でモーセの奇跡を検証することにしたい。
モーセの奇跡の一つに、ナイル川が真っ赤に変貌し、魚のほとんどが死滅した記述がある。実は、エジプトの魔術師たちも同じ奇跡を起こしているという記述があるのである。
「川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。ところが、エジプトの魔術師たちも秘術を用いて同じことを行ったのでファラオの心は頑なになり、二人(モーセとアロン)の言うことを聞かなかった」((出エジプト記」第7章21~22節)
これは、モーセだけが起こした奇跡ではないことを表している。さらに、エジプト全国にも同じ血の奇跡が起こったと記されている以上、ナイル川だけに起きた現象ではなかったことが判明する。
「エジプトの国中、木や石までも血に浸るであろう」(「出エジプト記」第7章19節)
一方、エジプトの魔術師たちも、ファラオの命令でモーセと同じことを天に命じたところ、ナイル川が再び血に染まったとあるが、再び天空から真っ赤なダストが降ってきたことを示している。しかし、彼らは、モーセの奇跡の余りを頂いたに過ぎなかった。この奇跡におけるモーセの偉大なところは、事前に血の奇跡が起こることを知っていたことにある。真っ赤なダストの地球への落下は、ヴェリコフスキーの主張する灼熱の巨大彗星メノラーだった金星が地球に大接近した際、まとっていたダスト(粉塵)が地球に降り注いだものである。それは、金星すなわち巨大彗星メノラーが近日点から戻る途中、後ろに引かれたガス状の尾が地球大気と触れたことを意味する。
マヤの「キシュ文書」にも、「大地は揺れ動き、太陽は静止し、河の水は血に染まった」と記述されている。さらにバビロン人も、「天から降る赤い塵と、血の雨の災害があった」と言う記述を残している。これがエジプト一国に起きた事件ではなかったことを示している。この時、世界中に降った真っ赤なダストの為、ナイル川の魚は死滅し、そのために臭くなったことになる。旧約聖書はこうも伝える。
「エジプト人はみな、飲み水を求めて、ナイル川の周りを掘った。ナイル川の水が飲めなくなったからである」((出エジプト記」第7章24節)
この時に降った真っ赤なダストの正体は何か?
ヴェリコフスキーは、かまどの灰のような細かいダストとして、原始惑星を包む酸化鉄の可能性を示唆している。鉄分は惑星に限らず、小惑星や隕石の主要な成分であり、特に酸化第二鉄は処理方法によって真っ赤に変色する。わかりやすく言えば、「錆び」の事である。現在のエジプト一帯に、鉄分を含んだ層が残されているが、これは当時赤いダストが降り注いだことの証拠である。さらに、エジプトの東に横たわる「紅海」の名は、血の色に染まった海に由来する。
旧約聖書は、エジプト全土を襲った疫病についても記述している。
「見よ、主の手が甚だ恐ろしい疫病を野にいるあなたの家畜、馬、ロバ、ラクダ、牛、羊に臨ませる。しかし主は、イスラエルの家畜とエジプトの家畜を区別される」(「出エジプト記」第9章3~4節)
ヴェリコフスキーは、「この疫病も金星の地球接近によるものである。」と言う。この説は荒唐無稽なものとして一蹴されたが、現代では、病原菌やウイルスは、宇宙からやってくるという学説まである。世界的なインフルエンザが流行する前に、必ず地球に彗星が接近していた。1977年に天文学者たちによって、「ウイルス宇宙起源説」が唱えられた。
突如として、登場するウイルスの変異体は、宇宙からやってきた可能性がある。劇症溶連菌感染症の患者が初めて発見されたのは、ハレー彗星が地球に接近した1986年だった。ハレー彗星が2月9日に近日点を通過したが、その数か月後に最初の劇症溶連菌感染症の患者が発生している。巨大彗星メノラーにも、いくつかのウイルスが存在していた可能性が非常に高い。原始惑星に微生物やウイルスが存在していた可能性があることは、現在のアカデミズムでも徐々に認めつつある。