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プラズマ宇宙論(7)

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(7)新たなる軍神(火星)の地球大接近

 巨大彗星メノラーが、新たに太陽系の仲間に加わった時、細長く伸びた楕円軌道を描いていた為、地球に大接近した後も他の惑星にとっては危険な天体に変わりがなかった。その点、地球でも、巨大彗星メノラーの軌道は熱心に観測されていた。しかし、紀元前1世紀頃になると、巨大彗星メノラーの軌道が安定し、公転周期も225日で、光る尾も消えてしまっていた。公転軌道も、地球の内側に落ち着いたため、朝夕にしか観測できなくなったが、天空に輝く強い光は、巨大彗星のころの面影を残していた。紀元前7世紀の記録の中に、既に巨大彗星メノラーの軌道は安定に向かい、惑星としての地位を確保しつつあったことが確認できる。

 では、一体何が巨大彗星メノラーの軌道を安定に向かわせたのだろうか? ヴェリコフスキーはここで大胆な理論を展開する。

 アッシリア・バビロニアなどの碑文を見る限り、古代における火星が、何の恐怖も与えない天体として描かれていたにもかかわらず、紀元前9~8世紀頃になると、急に状況が変わってしまうのである。火星は恐ろしい天体へと変貌し、軌道が安定して惑星になった巨大彗星メノラーに代わり、新たな軍神として畏敬と恐怖の対象になるのである。その理由はただ一つ、地球に対して天文学的な規模の大災害を与えたからである。すなわち、巨大彗星メノラーの時と同じように、火星が地球に衝突寸前まで大接近したからである。

 では、なぜ古代では安定していた火星が、紀元前9~8世紀頃になると、急に軌道を狂わせたのか? それは巨大彗星メノラーが火星とニア・ミスを犯したということである。

 巨大彗星メノラーと火星との天空でも争いが事実なら、当然、地球で観測されていたはずである。そこでギリシャ神話で、火星「アレス(マース)」と金星となった巨大彗星メノラー「アテナ」が登場する「ホメロスの叙事詩」を調べてみると、思わぬ事実が見えてくる。叙事詩の中でトロヤを包囲するギリシャに対して、トロヤの王プリアムは戦いを挑むが、その戦いに関わる神の名は、ギリシャ側の守護神「アテナ」、トロヤ側の守護神が「アレス」といい、全くの敵対関係にあった。つまり、「アテナ」と「アレス」が戦ったことを意味し、金星となった巨大彗星メノラーが、火星と天空で争った記述になる。最初にこの事実に気づいたのは古代ギリシャの学者ヘラクリストだった。

 紀元前3世紀、古代知識の宝庫とされたアレクサンドリア図書館の館長だったエラトステネスは「第3番目の天体だった火星、これは金星に追われ、ついに捕らえて、凄まじい情熱で火を受けた」と記述している。

 巨大彗星メノラーが火星を攻撃した後、火星は本来の軌道を逸脱して、地球に大接近した。それが「旧約聖書」の中にある。

紀元前702年頃、アッシリア王センナケリブは、ユダ王国のヒゼキヤの治世にエルサレムを包囲し、献上された金銀財宝を戦利品として持ち帰った。しかし、ヒゼキヤ王はエジプトとエチオピアとの同盟を結んだ為、センナケリブは再び大軍勢を率いて南下してきた。紀元前688年、その時のアッシリアの軍勢は20万人の大軍だった。しかし、ある朝一瞬にして打ち滅ぼされてしまうのである。ヴェリコフスキーはこの時のアッシリア軍の滅亡を天からの爆発とした。

「その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で18万5千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らはみな死体となっていた」(「列王記下」第19章35節)

 さらに旧約聖書はこの時の大異変で太陽が逆に動くという現象を記録している。

「イザヤは答えた。ここに主によって与えられる印があります。それによって主は約束なさったことを実現されることが分かります。影が十度進むか、十度戻るかです。・・・・そこで預言者イザヤが主に祈ると主の日時計の影、アハズの日時計に落ちた影を十度後戻りさせられた」(「列王記下」第20章9~11節)

 ラビの古文書は、この奇跡が起きたのは、アッシリア軍が謎の房滅をした夕刻に起ったと記述する。そのことから、アッシリア軍を一瞬にして死滅させ、太陽を逆回転させた原因を、天空に求めるのである。この現象を物理学的にわかりやすく説明できるのは、ポールシフトでしかない。回転軸(自転軸)をそのままにして球体である地球本体が回転しながら傾いていくポールシフトの事である。さらに、そのような天体規模の減少を引き起こせるのは、同じ規模の天体の大接近以外にない。

 火星が軍神として恐れられた記録は、アッシリアに多く残されており、火星のバビロニア名「ネルガル」が敗北をもたらした神として扱われているのも注目に値する。アッシリア軍が滅亡した時の王、センナケリブの孫だったアスルバニパルは、ネルガル(火星)が嵐の王であり、戦いの神であって、これが敗北を与えたと記しているからである。また、センナケリブの子だったエサル八トンも、火星を全能なる神として崇め、凶暴さ、恐怖、華やかさにおいて畏敬の念を表している。

 ローマ帝国の創立は、第8回オリンピアードの初年の紀元前748年であり、この年にユダヤでは「ウジアの騒動」と言う大災害が始まり、中近東では「ナボナサル紀元の始め」と言う全暦の大変革が行われており、天文紀元の始まった年でもあった。この年に、それまで1年を360日から365日に変更している。この時期を境にして「軍神=マルス」が誕生し、不吉な星として火星が認識されるのである。


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