(17)大嘗祭とイエス・キリスト
卑弥呼は絶対神ヤハウェの預言者だった。イエス・キリストの託宣を受ける巫女であった。だが、天皇ではなかった。世に多くの巫女がおり、絶対神ヤハウェの預言者がいた。卑弥呼は霊感により、イエス・キリストから御言葉を受けていたが、天皇ではない。あくまでも最初の天皇は神武=崇神=応神天皇だった。
天皇たる者、最も重要な儀式は大嘗祭である。天皇になるためには儀式を行わなければならない。(「即位式」「大嘗祭」「祝の神事」である) 大嘗祭を行わない天皇は「半帝」と呼ばれ揶揄されることがある。(「祝の神事」は明治天皇から今生天皇まで行っていないので次の天皇は最後の天皇になるという予言がある)
大嘗祭の基本は収穫祭である。その年に実った稲などを天照大神と共にいただく「新嘗祭」のうち、最初に行われるのが大嘗祭である。大嘗祭において、特別に悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)なる建物が作られ、そこで皇太子が天照大神と共に食事をすることで、新たなる天皇たる資格を得るのである。なぜ、同じ儀式を二つの大嘗宮で行うのか? その理由は、古代において倭国は二つの大きなクニから成っていた。西日本列島と東日本列島である。支配していたのは邪馬台国と狗奴国(くなこく)である。東日本列島と西日本列島が激突し、一つになり、卑弥呼が邪馬台国の女王として君臨した時も、まだ狗奴国の王・卑弥己呼(ひみここ)と対立していた。邪馬台国が大邪馬台国となり、そこへ騎馬民族が侵入してきたとき、狗奴国も支配下に組み込まれた。大和朝廷による東日本列島の征服劇を物語るのが日本武尊(やまとたけるのみこと)の武勇伝である。日本武尊の伝承には応神天皇が投影されている。
東西の日本列島を征服したがゆえに、その象徴として初代天皇は悠紀殿と主基殿において同じ儀式を執り行うのである。邪馬台国と狗奴国、両方の倭国を統一し、大和朝廷が開かれた証が大嘗祭に込められている。
また、なぜ天照大神と食事を共にすることが天皇即位の儀式となるのか? これは、「最後の晩餐」なのである。イエス・キリストが十字架に磔になる日の前夜、12使徒たちと一緒に食事をした。ユダヤ教の祭礼「過ぎ越しの祭り」である。イエスの預言者として、最後の晩餐を再現することで天皇になるのが大嘗祭の本質である。その意味で大嘗祭は契約なのである。「天皇」と言う称号のもと王権を頂く代わりに日本列島に集合したイスラエルの民を治める聖なる約束を初代天皇はイエス・キリスト=天照大神と交わしたのである。
大嘗祭には布団が用意されている。天皇は天照大神と食事をした後、用意された床に横になり、再び起き上がる儀式を行っていた。大嘗祭に臨むにあたって、天皇は斎服を着ている。真っ白な服である。これは死に装束を意味している。死に装束をまとった天皇が布団に横になる。意味するのは死である。天岩戸開き神話における天照大神の死を再現しているのである。布団に横になり、再び起き上がるとは、まさに死と復活を意味する。天照大神が死んで、天岩屋に葬られた後、復活して天岩戸が開かれる。これは、イエス・キリストの死と復活を意味し、大嘗祭において、天皇は儀式として再現しているのである。死と復活の儀式を通じて、皇太子から天皇へと召命されるのである。
一連の儀式を通じて、皇太子は天皇霊を身に宿す。天皇霊とは歴代の天皇の御魂であると同時に天照大神の御魂なのである。ゆえに、天皇は本来「天皇陛下」なのである。「陛下」とは階段の下の者と言う意味で、「生命の樹」を授かった者を意味する。「生命の樹」は「ヤコブの梯子」として表現されるように、一種の階段である。最上階には絶対三神が存在する。よって、天皇陛下は天照大神の預言者、すなわちイエス・キリストの預言者を意味するのである。もっと正確に大嘗祭を表現するならば、至高の存在として天之御中主神=御父が天におり、そこから高御産巣日神=天照大神=御子=ヤハウェ=イエス・キリストが降臨し、神産巣日神=聖霊を身に宿した天皇と共に食事をする。その際、天皇は死と復活の儀式をすることで王権神授するのである。
大嘗祭において、不可欠なのが「麁服(あらたえ)」である。麁服は麻で作った「神衣(かむそ)」として祀る織物である。麁服は神が着る服である。それは死に装束である。天照大神の死に装束として麁服が供えられるのである。麁服がなければ大嘗祭はできない。麁服を作ることが出来るのは四国の三木家である。三木氏は古代豪族「忌部氏」である。忌部氏は神道の祭祀を一手に仕切る人々である。浅草や麻布、多摩などの地名は、全て忌部氏が栽培した大麻に由来する。忌部氏は神道祭祀を行う。神道のルーツはユダヤ教であり、原始キリスト教である。彼らはイスラエル人である。その中のレビ族である。レビ族はユダヤ教の祭礼や儀式に必要なものすべて用意する。生贄の牛や羊、鳩など、聖別された動物を飼育する。忌部氏は神社などを建築する大工でもあったが、神殿を建設し、契約の箱を製造したのもレビ人である。レビ人は儀式用の服の材料として麻布を使った。忌部氏が大麻を栽培し、天皇のために麁服を作るのはユダヤ教の風習を伝えているからである。