(16)天照大神と絶対神ヤハウェ
籠神社の極秘伝によれば、奈良時代以前、日本の神道は一神教だった。記紀が成立して、日本神話が確立するに従い、神道では元初の最高神と言う概念が薄れていき、多神教としての性格が強くなる。しかし、本来は違う。八百万の神々に埋没した唯一神を復元する鍵が「多次元同時存在の法則」である。
例えば、天照国照彦天火明櫛ミカ玉ニギハヤヒ尊には天照大神のほか、国照彦や天火明命、櫛ミカ玉神、ニギハヤヒ命が含まれている。このうち、櫛ミカ玉神は大物主命(おおものぬしのみこと)の別名であり、記紀によれば大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一神である。籠神社の極秘伝によれば、このほかにも賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)や天御影命(あめのみかげのみこと)、大歳神(おおとしのかみ)、住吉大神、恵比寿神など、多くの神々が同一神である。中でも重要なのが豊受大神も含まれている点である。豊受大神は食べ物の神様で、お稲荷さんで知られるウカノミタマやウケモチ、オオゲツヒメなどの別名が知られているが、伊勢神道では国常立尊と同一視される。国常立尊は「日本書紀」では最初に現れた神とされ、「古事記」における天之御中主神と異名同神である。いわば宇宙の根源神である。まさに、これが「聖書」に記された絶対神「ヤハウェ」である。豊受大神がヤハウェだということは、同一神である天照大神もまた、ヤハウェに他ならない。卑弥呼と台与が仕えた太陽神とは、ユダヤ教の絶対神ヤハウェだったのである。
物部氏と海部氏、尾張氏は、ともに徐福が引連れてきたユダヤ人である。南朝ユダ王朝の流れを汲む東ユダヤ人と失われたイスラエル10支族は、ユダヤ教を信じていた。「聖書」の絶対神ヤハウェを崇めており、これが古代における物部神道となった。奈良時代以前、物部氏はユダヤ教徒だったのである。当然ながら、卑弥呼や台与もユダヤ教徒だった。彼女たちを生んだヤマト族も唯一神ヤハウェを信仰していた。「ヤハウェ」は忌名であり、みだりに口にすることは禁じられていた。それゆえ、人々は、山の神や海の神、天空の神と呼び、それがいつしか別々の神々として物語を形成するようになった。
マクモニーグルは三輪山を透視して、卑弥呼が儀式を行っていたと述べている。卑弥呼は宇陀・鳥見山に夏の居城を構えていた。同じ名前の鳥見山は桜井市と天理市にもある。卑弥呼はそれらの地点で特別な儀式を行っていたのである。3つの鳥見山と3つの輪を持つ三輪山は物部氏と卑弥呼で結びつく。
象徴的なのは、三輪山を御神体とする大神神社の三つ鳥居、通称「三輪鳥居」である。3つの鳥居が横一列に合体した姿をしており、大神神社の祭神である大物主神と大国主神と少名彦名命の御魂を象徴している。その大神神社の参道、一の鳥居が建つ場所に「大三輪崇敬会」がある。この境内には三柱鳥居が建っており、そこに「造化三神」の御魂を象徴していると記されている。
日本最古の三柱鳥居は「蚕の社」であるが、建立したのは秦氏である。彼らはイエス・キりスト直系のユダヤ人原始キリスト教徒であり、絶対三神「御父と御子と聖霊」を信じていた。柱は神の象徴であり、秦氏が建てた三柱鳥居は絶対三神を表現する。
天之御中主神=御父
高御産巣日神=御子
神産巣日神=聖霊
ユダヤ教は唯一神教だが、その奥義は三神教である。ユダヤ教の奥義「生命の樹」は三本柱から成り、これが絶対三神を意味する。カッバーラを公開したのがイエス・キリストだった。ゆえに、直系の弟子であるエルサレム教団のユダヤ人原始キリスト教徒達はカッバーラを理解していた。彼らはシルクロードを通り、日本へときた。なぜなら、そこには、既に失われたイスラエル12支族が全ており、絶対神ヤハウェを奉じるユダヤ教を信じていた。これが物部神道である。応神天皇とユダヤ人原始キリスト教徒=秦氏が渡来してくると、状況は一変する。秦氏は次々とユダヤ人原始キリスト教の神社へ変えていく。(いわゆるユダヤ教の「血の儀式」を止めさせるためである)
絶対神ヤハウェの巫女だった卑弥呼や台与は、秦氏がと渡来してくる以前にも関わらず、カッバーラを手にしていた可能性がある。つまり、、絶対三神の存在を知っていた可能性がある。
八百万の神々は多次元同時存在の法則により、唯一絶対神に収斂される。
「ヤハウェ=イエス・キリスト=御子=高御産巣日神=天照高弥牟須比命=天照大神」
天照大神は絶対神ヤハウェであると同時に、イエス・キりストなのである。天照大神の天岩戸開き神話はイエス・キリストの歴史をベースにしている。殺されて墳墓に埋葬された後、復活して再び姿を現した天照大神こそイエス・キリストなのである。
邪馬台国の卑弥呼と台与は絶対神ヤハウェを太陽神として拝んでいた。太陽神は光の神であり、イエスは自らを「世の光」だと称した。彼女たちは、太陽神の託宣を告げることで巫女でありながら大日霊女貴神と言う神格を与えられ、天照大神と同一視されるに至った。
ここに伊勢神宮に内宮と外宮が存在する秘密が隠されている。天岩戸開き神話における天照大神を卑弥呼及び台与として解釈すると、それぞれ死んだ天照大神と復活した天照大神に対応している。また内宮は卑弥呼が巫女として仕えた天照大神、外宮は台与が巫女として仕えた豊受大神が主祭神として祀られている。これらを整理すると次のようになる。
「内宮の主祭神=天照大神=卑弥呼=日孁=死んだ天照大神=イエス・キリスト=受肉したヤハウェ」
「外宮の主祭神=豊受大神=台与=復活した天照大神=復活したイエス・キリスト=復活体のヤハウェ」
伊勢神宮の内宮と外宮は、ともに御子ヤハウェ=イエス・キリストを祀っているが、体が違う。絶対神ヤハウェは霊体のみの存在だった。ヤハウェが受肉して人の子として生まれたのがイエスである。肉体は滅びる。イエスも十字架上で死んだ。ここまでのイエスを象徴しているのが内宮である。外宮が象徴しているのは不死不滅の体をもって復活したイエスなのである。つまり、伊勢神宮の内宮と外宮は、共にイエス・キリストの死と復活を象徴しているのである。
邪馬台国の卑弥呼と台与をもって、天照大神=イエス・キリストと豊受大神=ヤハウェが象徴として位置づけられた真の理由は、彼女たちが巫女や霊能者ではなく預言者だったからである。卑弥呼はイエス・キリストの預言者だった。台与もしかり、彼女たちは邪馬台国=ヤマト国の王にして、ヤハウェ=イエス・キリストの預言者だったのである。