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邪馬台国と卑弥呼の謎(14)

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(14)天岩戸開き神話と日食

 天照大神は卑弥呼であると仮定すると、次のような考えが発生する。

 卑弥呼の記憶が天照大神の神話に投影された可能性は否定できない。マクモニーグルも透視によって、それを敏感に察知した。天照大神を最高神たらしめているのは「天岩戸開き神話」である。スサノオ命の横暴により、天照大神は怪我をした。しかし、実際には、この時死んだ可能性がある。日本では古来、高貴な人が死ぬと「お隠れになる」と表現する。怪我をして天岩屋に隠れたとは、外傷によって死んだことを意味する。天岩屋とは古墳の事である。死んだ天照大神の遺体が横穴式の墳墓に埋葬されたのである。しかし、天照大神は天岩屋から再び姿を現す。これは一度死んだ天照大神が甦ったことを意味する。

 天照大神の死と復活は、何を意味しているのか? 考えられるのは日食である。太陽が月によって隠されることで、地上は暗くなる。天岩戸開き神話でも、天照大神が天岩屋に隠れると、高天原は闇に包まれた。古代人にとって、日食は畏怖すべき現象だった。たとえ数分でも太陽が死んだと思う。その後、再び輝きを取り戻した情景を見て、太陽が復活したと思っても不思議ではない。事実、紀元247年と248年に、日本列島で日食が見られた。卑弥呼が生きていた時代である。しかも、日食が原因で卑弥呼が死んだという説もある。

 卑弥呼が日食があった時期に死んだことは事実であるが、卑弥呼が天照大神であるならば、まさに古墳と言う天岩屋に隠れたわけである。しかし、天岩屋から出てきた天照大神は卑弥呼ではない。考えられるのは、台与である。卑弥呼が亡くなった後、倭国は乱れた。邪馬台国に男王が立つも、民衆が望んだのは神秘的な力を持つ霊能者であり、巫女だった。かくして、卑弥呼と同じ一族で、霊感の鋭かった台与が女王として推戴された。邪馬台国の女王が復活した。太陽神の巫女が甦ったのである。図式で示せば次のようになる。

死んだ「天照大神」=「卑弥呼」

復活した「天照大神」=「台与」

 このように、天照大神と言う神格には卑弥呼と台与が反映されている。二人の天照大神、すなわち卑弥呼の死と台与の女王推戴が象徴されているのである。

 邪馬台国の女王に推戴された台与は卑弥呼と同族、すなわち、物部氏=海部氏である。籠神社の「海部氏勘注系図」には、ともに「日女命」と言う名前で出てくる。

卑弥呼→日女命=日神(ひのかみ)

台与→日女命=豊受姫命(とようけひめのみこと)

卑弥呼の別名である「日神」は、そのまま「天照大神」を示している。一方、台与の別名である「豊受姫命」は籠神社の奥宮、天真名井神社の祭神である「豊受大神」の事である。

 現在、籠神社は元伊勢として知られる。伊勢神宮の御祭神である天照大神の御神体、八咫鏡は一時期、籠神社で祀られていた。もともと大和の皇室で祀られていたのだが、あまりにも霊力が強く、恐れた崇神天皇は皇女である豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に命じて、笠縫邑(かさぬいむら)で祀らせた。だが、天照大神の御魂は鎮まらず、丹後の籠神社へと遷座する。以後、各地を転々として最終的に伊勢の五十鈴川のほとりに落ち着いて、今日でいう伊勢神宮の内宮が建立された。さらに、雄略天皇の時代に、天照大神のお食事を賄う神として、籠神社から豊受大神が勧請される。豊受大神は現在、伊勢神宮の外宮で祀られている。つまり、籠神社は内宮と外宮の両方の元伊勢であり、その意味で「本伊勢」なのである。

内宮の主祭神=天照大神=卑弥呼

外宮の主祭神=豊受大神=台与

邪馬台国を継承し、大邪馬台国となり、そこへ騎馬民族が合流することで成立した大和朝廷は、伊勢神宮で卑弥呼と台与を祀っているのである。天皇は卑弥呼の子孫である。台与もまた、天皇家の祖先に連なる。しかし、「魏志倭人伝」によれば、卑弥呼は生涯独身で子供がいなかったという。マクモニーグルの透視でも子供はいなかった。実はここに巧妙なトリックが仕掛けられているのである。


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