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邪馬台国と卑弥呼の謎(13)

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(13)ユダヤ人原始キリスト教徒「秦氏」

 応神天皇の時代、朝鮮半島から大量の渡来人がやってきた。中でも最大規模を誇ったのが秦氏である。彼等は徐福集団でもなければ、辰王の騎馬民族でもない。全く別のルートで東アジアへとやってきたイスラエル人である。彼らの故国は古代ローマ帝国、中国名で言う大秦である。大秦出身者ゆえ、その国名から一字採用し、秦氏と名乗った。ただし、自らはヘブライ語でユダヤ、すなわちイエフダーと称した。このイエフダーが転訛してヤハダ~ハダ~ハタとなった。秦氏と書いてハタと読むのは、ここに理由がある。

 秦氏のルーツはイエス・キリストに従ったユダヤ人である。イエスの12使徒直系の原始キリスト教徒なのである。伝道を始めたころのイエスの弟子は、全てがユダヤ人だった。ヘブライ語を話し、ユダヤ教の風俗風習を持った人々であった。後にヘブライ語を話さず、異邦人にも伝道するようになり、これが今日のキリスト教へと発展していく。(異邦人を対象にしたのがパウロであり、アンティオキア教団と呼ぶ。それに対してペテロを中心にした教団をエルサレム教団と呼ぶ。現在の欧米のキリスト教はパウロによる他力信仰が中心であり、本来の原始キリスト教から外れている。本来の原始キリスト教は日本の古神道に受け継がれている)

 紀元66年、第1次ユダヤ戦争が勃発すると、エルサレム教団はヨルダン川の東方にあるペラと言う町に移住する。やがてヨーロッパでキリスト教が広まると、エルサレム教団の存在は忘れられ、歴史上から消える。エルサレム教団が向かった先は、シルクロードの彼方、東アジアだった。日本にやってきたユダヤ人原始キリスト教徒は秦氏と称し、次々と神社を建立する。稲荷神社や八幡神社、松尾神社、日吉神社、白山神社、金毘羅神社など全国的に勧請された神社のほとんどは秦氏が担い手である。(秦氏の目的は、旧約の民が行ってきた「血の儀式」=「生贄を奉げる儀式」を止めさせることであった)

 奈良時代以前の神道は一神教であり、ユダヤ教だった。そこへ原始キリスト教が上書きされたのである。もともと同じ旧約聖書を聖典とする宗教であり、物部氏も秦氏も共にイスラエル人である。瞬く間に全国の神社は秦氏によって乗っ取られていく。秦氏の拠店である京都には「太秦(うずまさ)」と言う地名がある。「ウズマサ」はイエスの12使徒たちが日常会話で使用したアラム語も「イシュマシャ」すなわち、ギリシャ語で言う「イエス・キリスト」の事である。現在、太秦には秦氏が建立した「蚕の社」がある。その境内には三柱鳥居が立っている。これは、「御父と御子と聖霊」の三位三体を象徴している。

 秦氏を日本列島に招いたのが応神天皇である。応神天皇が八幡大神と習合しているのは(応神天皇が)秦氏の血を引いている証拠である。応神天皇が渡来してくる以前、既に秦氏の前衛部隊が九州へと上陸していた可能性がある。そうであるならば、卑弥呼が生きていたころ、既に日本列島にはユダヤ人原始キリスト教徒がいたことになる。このことを邪馬台国の女王、卑弥呼は知っていたのではないかと思われる。卑弥呼を生んだヤマト族は、かって伊都国にいた可能性があり、海部氏であった卑弥呼はユダヤ教である神道を奉じていたが、原始キリスト教にも接していた可能性が高い。つまり、卑弥呼はユダヤ人原始キリスト教徒だった可能性が出てくるのである。

 卑弥呼はシャーマンであった。マクモニーグルは「卑弥呼は自分と同じ能力を持っていた」と語る。神々の託宣を人々に伝える巫女で、しばしば預言も行った。部族同士が争っていた時代、邪馬台国の元に連合国家が出来たのも、卑弥呼の預言によるものである。「力の持った3つの部族が和解しなければ、地上は闇に包まれ多くの者が死ぬ」と預言した。これを聞いた部族長達は卑弥呼を女王として迎えることにしたのである。

 マクモニーグルによると、卑弥呼は死後、神様のような扱いを受ける。太陽神として崇拝されるようになっていったという。つまり、天照大神=卑弥呼だという説は昔からある。「魏志倭人伝」によると、卑弥呼には弟がいた。政治を行っていたのは卑弥呼の代理人である弟だったと考えることができる。卑弥呼は天照大神なら、その弟はスサノオ命だろう。卑弥呼が死んだ後、男王が立ったが、倭国は再び乱れた。この状況から卑弥呼の弟が男王だった可能性が高い。弟が卑弥呼の後を継いで邪馬台国の王となり、そのことが原因で倭国に戦乱が起こったとすれば、記紀神話に出てくるスサノオ命のイメージに重なる。スサノオ命は高天原で暴れまくる。これにより、神々は大混乱に陥り、天照大神は天の岩屋に隠れてしまう。まさに、これは卑弥呼亡き後、倭国が乱れたことを物語っていると解釈できる。一説にスサノオ命は卑弥呼の弟ではなく、卑弥呼と敵対していた狗奴国の王、卑弥弓呼(ひみここ)だともいう。邪馬台国と狗奴国の戦争によって、卑弥呼が死んだことが天照大神の天岩屋隠れとして語られているのである。このように、天照大神が卑弥呼だと考えれば、弟のスサノオ命は卑弥呼の実弟、もしくは仇敵の卑弥弓呼に対応させられ、神々が住まう高天原は邪馬台国と見做すことが出来るのである。


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