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邪馬台国と卑弥呼の謎(11)

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(11)徐福の民と卑弥呼のヤマト族

 紀元前3世紀末、徐福集団は日本列島へとやってきた。彼らが倭国の中心となったとすれば、後の邪馬台国との関係が注目される。卑弥呼を生んだヤマト族もまた、ルーツは徐福集団にある。マクモニーグルの透視によれば、ヤマト族の拠店は中国地方から九州、そして奄美大島へと遡る。沖縄に来る以前は台湾にいたらしく、そこへ来たのは紀元前205年だという。時代的に徐福の渡来と重なる。徐福は日本列島へやってくる以前、台湾にも立ち寄っている。大船団ゆえ、途中ほかの島に寄港し、そこに安住した人々がいたとしても不思議ではない。

 徐福が引連れてきた人々の中にヤマト族がいたのかもしれない。ヤマト族は台湾に来る以前、中国のマカオ、そしてベトナムにおり、その先は中国の昆明にいたとマクモニーグルは語る。昆明にやってきたのは紀元前475年だという。南朝ユダ王国が滅亡し、バビロン捕囚が始まったのが紀元前586年であり、アケメネス朝ペルシャによって解放されたのが紀元前538年である。その際、パレスチナに帰還せず、そのままバビロンに留まったイスラエル人がおり、彼らは東ユダヤ人となった。アケメネス朝ペルシャは東ユダヤ人に対して相応の扱いをした。しかし、紀元前492年にペルシャ王ダレイオス1世はギリシャへと攻め込みペルシャ戦争が勃発する。この時期にヤマト族は昆明へとやってきている。ヤマト族はアケメネス朝ペルシャにおける戦乱を避けて、中国へと流れてきた東ユダヤ人だったのだろう。ヤマトはヘブライ語で「神の民」を意味し、ここにイスラエル人の国があった可能性がある。 

 現在、ヤマトがある新疆ウイグル地区の南西にキルギス共和国がある。聖書研究家の久保有政氏の調査によると、ここに日本人とユダヤ人を結ぶ興味深い伝説があるという。「マナス叙事詩」というが、もともとキルギス人はエニセイ河の上流に住んでおり、彼らの祖である二人の兄弟のうち、西に移動した男がキルギスを建国し、東に移動した男が日本を建国したと伝える。しかも、「マナス叙事詩」研究家のリズベクは、キルギス人の父祖の名が「ヤキブ」であることを突き止めた。彼には12人の子供がいた。そのうちの一人が「マナス」と言う名前だったという。

 マナスとは失われたイスラエル10支族の一つであるマナセ族だったとすれば、その父祖であるヤキブとはヤコブの事であろう。旧約聖書ではマナセはヤコブ=イスラエルの12人の息子のうち、ヨセフの子供である。ヤコブから見れば孫にあたるが、イスラエル12支族を形成するにあたって、12人の息子のうちレビ族が独立して祭祀を司る一族の為、それを補う形でヨセフの二人の子供、すなわちマナセとエフライムがそれぞれ独立して一族を形成したとされる。イスラエル12支族と言う視点で言えば、マナセから見てヤコブは父なる存在である。

 ヤキブがヤコブで、息子とされるマナスがマナセであるならば、その兄弟はエフライムに相当する。エフライムが西域から東へと移動し、ついに日本列島へとやってきたと考えれば辻褄が合う。

 彼らは東ユダヤ人ではないが、地理的にヤマトにやって来たに違いない。おそらく、ヤマトは失われたイスラエル10支族は勿論、東ユダヤ人など、西アジアを追われたイスラエル人の中継地だったのかもしれない。時代は違えども、戦乱を逃れたイスラエル人はシルクロードを経て、同族がいるヤマトに終結して、一つの国を形成していたのだろう。

 邪馬台国の卑弥呼を生んだヤマト族が中国の昆明にいたと語るマクモニーグルに、飛鳥氏は、ズバリ、「ヤマト族のルーツはイスラエル人ではないのか」と聞いた。マクモニーグルは「イエス」と答えた。日ユ同祖論が描く大きなジグソーパズルのピースがピタリとはまった瞬間だった。


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