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邪馬台国と卑弥呼の謎(6)

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(6)投馬国と丹波王国

 投馬国は中国地方にあった。その勢力は中国地方全土に及んでいた。ここは後の周防国や吉備国、出雲国、但馬国、丹波国などが含まれる。大化の改新以前、今の但馬、丹波、丹後の三丹地方は合わせて一つの丹波国であった。古代丹波国こそ、かっての投馬国だった。

 丹波地方には大きな古墳が存在し、卑弥呼と同時代の鏡「方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)」も出土している。そのため、今から2000年前、丹波に非常に強力な豪族が存在し、クニを形成していたと考えられている。では、古代丹波王国の中心地はどこだったのか? ずばり、丹後である。日本三景の一つで有名な天橋立の近くに鎮座する「籠神社(このじんじゃ)」こそ、丹波王国における都、少なくとも宗教的な中心地であったことは間違いない。

 籠神社は元伊勢の一つで、かって伊勢神宮の内宮の御神体、すなわち八咫の鏡は籠神社にあった。又、伊勢神宮の外宮の祭神、すなわち豊受大神は、もともと籠神社の奥宮「真名井神社(まないじんじゃ)」で祀られていた。それゆえ、内宮と外宮の両方の元伊勢と言うことで、籠神社は「本伊勢」と称すこともある。

 籠神社の神職は、代々海部氏(あまべし)が仕えてきた。籠神社が所蔵する「海部氏本系図・籠神社祝部氏係図(はふりべうじけいず)」と「海部氏勘注系図(かんちゅうけいず)・籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記(たんぱのくにのみやっこあまべのあたえとううじのほんき)」は国宝に指定されている。現在の海部光彦宮司は祖神・天火明命(あめのほあかりのみこと)から数えて第82代目の当主である。

 籠神社の伝えるところによると、古代の海部氏は若狭湾は勿論、琵琶湖周辺一帯から山背国まで抑えていた。西は出雲から石見まで勢力を広げていた。事実、出雲ゆかりの古い家柄である北嶋家の系図は海部氏の系図と完全に一致し、見事なまでに整合性を示している。

 もちろん、日本海側だけではない。海部氏が支配する古代丹波王国の勢力は、瀬戸内海方面にもおよび、海上交通の要衝である明石海峡を抑えていた。神武天皇(応神天皇)の東征の際、水先案内をした「椎根津彦(しいねつひこ)」は海部氏なのである。つまり、古代の海部氏は山陰地方は勿論、山陽地方も支配下に納めていた。丹波王国は山口県から滋賀県に及ぶ「大丹波王国」だったのである。

 「海部氏勘注系図」には、古代の神々の名前は勿論、海部氏ゆかりの人命が数多く記載されている。その系図の中に「日女命(ひめみこと)」と言う名前が出てくる。別名として「倭トト日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」のほかに、「日神(ひのかみ)」「千々速日女命(ちちはやひめのみこと)」「神大市姫命(かみおおいちひめのみこと)」が挙げられる。日女命と言う字面をみると「太陽の女の命」と太陽神を祀る巫女だと解釈できる。「卑弥呼」と言う漢字は中国人が勝手に当てたものであり、侮辱した意味も含まれている。大切なのは「音」である。古代において卑弥呼は「ヒミコ」と発音した。ヤマト言葉を漢字に当てるとすれば、「日巫女」がふさわしい。文字通り、太陽を祀る巫女である。これは「日女命」に重なる。実は「海部氏勘注系図」にはもう一人の「日女命」が登場する。別名として「豊受姫命(とようけひめのみこと)」が記されている。つまり、「豊」は「トヨ」すなわち「台与」に通じる。二人目の日女命は台与だったのである。台与は卑弥呼と同じ同族であり、同じ女性シャーマンだった。卑弥呼がいなくなった後、倭国は混乱したが同族の台与を女王とすることで治まった。籠神社の極秘伝によると、この「海部氏勘注系図」に登場する二人の日女命はそれぞれ卑弥呼与台与であるという。彼女たちはともに海部氏だったのである。

 海部氏の祖神は天火明命である。正式名は「天照国照彦天火明櫛ミカ玉ニギ速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしみかたまにぎはやひのみこと)」と言い、ニギ速日尊(にぎはやしのみこと)は物部氏の祖神ニギハヤヒ命の事である。結論から言えば、海部氏と物部氏は同族である。海部氏は物部氏の中の物部氏である。それゆえ、「海部氏勘注系図」に出てくる二人の日女命は卑弥呼と台与の事だと断言してもよい。


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