(37)東方三博士と10支族
(下つ巻・第23帖 日本の国仕掛けの中心に座る天照=イエス・キリスト)
今の世界がひっくり返り、神の世界に戻ることは、神界の神々にはわかっていても、人々には理解できない。そこで絶対神は世界中にそれを知らせる人間を送り出すが、この世がいつ終わるのかは絶対神しか分からない。天の父から地上に送られた子である救世主は、父から委任された継承者である。そのためすべてを正しい世に戻して父に返す役目を担っている。そのために正しい人々を集めて救う使命があるのだ。日本では最後の天皇陛下にその責任があり、大和民族を天照大神であるイエス・キリストに返さねばならない。そのための大掃除を、先ずは日本で起こし、その結果、世界最大の奇跡が起きることになる。天皇家が管理する神社が、「天照大神=ヤハウェ=イエス・キリスト」と解き明かされる結果、原始キリスト教会と融合した社(神殿)となるからである。その数は凄まじい規模で、それまでに立てられた原始キリスト教会の神殿数をはるかに上回ることになる。この戦争(太平洋戦争)が終わったら、一刻も早く東京に神殿を建ててほしい。日本人は頑なにならず、真の原始キリスト教会に目覚めてもらわねばならない。これが日本に仕掛けられた「国仕掛け」であり、その中心に座るのが天照大神であるイエス・キリストである。天照大神は自分の囲いに羊を集め、山羊と区分けされる。それを冬が来る前の秋に成し遂げられるだろう。神は善人たちがこの世の最終戦争で滅亡しないよう、急いで戻ってこようとしておられる。
(解釈資料)
「神社本庁」は「「伊勢神宮」を本宗とする日本各地の神社を包括する宗教法人である。が、その実態は天皇家の代理組織である。戦後、GHQによる「政教分離」から「神道指令」が発布され、神社を国家から分離することを命じた。「伊勢神宮」を中心に全国約7万9000社を包括し管理するが、歴史的にも文化的にも天皇家が実質的な持ち主であることは変わりはない。
ところで、イエス・キリストが不思議な話をしている箇所がある。
「私には、この囲いに入っていない他の羊もいる。その羊も導かねばならない」(「ヨハネによる福音書」第10章16節)
これには「失われたイスラエル10支族」が含まれている。なぜなら、彼らも昔は同じ囲いにいた羊だったからである。同時に今から2000年ほど前に現在のイスラエルの地に救世主が誕生した。その様子を以下のように記している。
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(「マタイによる福音書」第2章1~2節)
イエス・キリストの誕生を知らしめた天の徴は「ベツレヘムの星」だった。その星は、東から移動した謎の天体で、出現と動きに誘われるように三博士たちがベツレヘムにやって来た。しかし、実際は聖書の何処にも三博士とは記されていない。救世主に差し出した贈り物が、「黄金」「乳香」「没薬」とあることから、後年、三博士と呼んだだけである。
三博士は東方から来た以上、「失われたイスラエル10支族」と考えるのが妥当である。彼らはソロモン大王の死後、アッシリアに補因され、北イスラエル王国から連れ去られた人々で、アッシリア滅亡後、ユーラシアの奥地へと姿を消した。つまり、10支族全てが集まる日本から、各地の長たちがイスラエルに来た可能性がある。救世主生誕の頃のイスラエルには、南ユダ王国の2支族とレビ族がいたので、極東のイスラエル10支族の計12支族とレビ族で、救世主誕生を祝ったのである。
東方の三博士が捧げた「乳香」は、「フランキンセンス」から分泌される樹脂で、古代エジプトでも神にささげるための神聖な香だった。「没薬」は「ミルラ」の樹木から分泌される赤褐色の植物性ゴム樹脂で、殺菌作用を持ち、鎮静薬、鎮痛薬として使用される。最後の「黄金」であるが、それは黄金ではなく「リキッド・ゴールド」と言うオイルだった可能性がある。リキッド・ゴールドはバルサムファーと言う木から摂取されるオイルである。そうなれば、贈られた三品はすべて「樹木」で構成された「生命の樹」を象徴し、「神界の三神」の三位三体を解き明かす者となる暗示になっていた。
皇太子が天皇陛下になる「大嘗祭」があるが、その儀式で欠かせない「アラタエ」と言う神御衣を献上するのが四国の忌部である。その忌部の当主が「三木家」であり、「三つの樹」を示唆する姓名になる。
天照大神であるイエス・キリストは、地上を天の戻すため、羊と山羊を分けるとされている。
「人の子は、輝きに輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その輝きの座につく。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く」(「マタイによる福音書」第25章31~33節)
神に似た心根の羊と、悪魔に従った山羊を分ける意味である。このことから中世ヨーロッパではサタンの絵の象徴として黒い山羊が使われるようになったが、別に山羊が悪魔の創造物という意味ではない。羊と似ているが非なる物の象徴として使われているだけである。