(36)最後の天皇陛下の使命とは?
(下つ巻・第22帖 セム・メーソンのトップ、天皇家と手を握る)
真の岩戸開きの仕組みは、今、絶対神から解き明かすことが禁じられている。(1944年7月28日の時点で) 岡本天明が詳細に解き明かしても、戦時下の日本人は寝耳に水だし、語っても信じないだろう。一方で、語らねばならぬため、今こうして苦しい心境で語っており、神も同じように苦しいはずである。やがて日本で「日月神示」が解き明かされるときが来るので、その時まで心の準備をしてほしい。アイカギ、ヤハウェ、原始キリスト教会、イエス・キリスト、コノカギハ、イシヤトシカ手を握ることである。12のイエス・キリスト教会。
(解釈資料)
アイカギは、「合鍵」で、原始キリスト教会に存在したと同じ「神権」の復活を指す。それも預言者が持つ「大神権」の復活である。ヨッドは一文字だけでも「ヤハウェ」を示す。○は宇宙で「「原始キリスト教会」を示す。原始キリスト教会にいるヤハウェは「イエス・キリスト」の事である。コノカギは「小の鍵」で「小神権」を示している。イシヤは「石屋(フリーメーソ)」を意味する。そのフリーメーソン中のフリーメーソンと手を握ることになる暗示である。蘇った原始キリスト教会では12使徒も再興され「1+2=3」で「三位三体」を明らかにし、「三位一体」とは相容れない組織になる。
我々の知るフリーメーソンとは、ヤフェト系(白人)の近代フリーメーソンであり、セム系フリーメーソンではない。近代フリーメーソンの起源には謎が多く、様々な仮説が提唱されている。結局、ヨーロッパのヤフェト・メーソンの流れから近代フリーメーソンが誕生したことである。しかし、「日月神示」が言う石屋とは「大工の祖である聖徳太子の末裔」を指し、復活した原始キリスト教会が天孫族と手を握る示唆になっている。つまり、大和民族であり、セム・メーソンのトップである天皇家と手を握ることになる。なぜなら、天皇家は明治以降、南北朝時代から偽物だった北朝系から、正当な南朝系に戻り、レビ族の末裔は今の天皇家だからである。だから、天皇家はレビと同じ神道の長であり、神事を取り仕切る最高位にある。
天皇家には「失われたレビ神権」が継承されており、復活した「小神権」の主として、末の世に復活した原始キリスト教会から天皇家に返されることになる。なぜなら、旧約聖書の象徴である「三種の神器」と「失われた聖櫃アーク」を保管しているからである。
最後の天皇陛下は、レビの長として、それらを氏子であるレビ族と共にイスラエルのオリーブ山に運ぶ使命がある。少なくても次の天皇、すなわちラストエンペラーは三種の神器とそれを納める聖櫃アークを「伊勢神宮」から運びだし、イエス・キリストが再臨するオリーブ山に持って行く役目がある。担ぎ手はすべて伊勢神宮の氏子である。彼らは宮大工を含めて一子相伝だからである。アークを1文字で示すと「璽」となる。璽は天皇の徴を示す象徴で、漢字に原型があるなら、璽は箱の上に向かいあって首を垂れる天使(ケルビム)の姿を表している。聖書には、それが置かれているところを、「天の神殿」と書いてあるが、天とは天照大神の社(神殿)を差し、そこは末の世に蘇った原始キリスト教会の神殿と同じ意味を持っている。
三種の神器と契約の聖櫃アークは、モーセの時代に作られている。モーセはイスラエル人のレビ族の父アムラムとアムラムにとって叔母にあたる母ヨベドとの間に生まれたレビである。「レビ記」はモーセが記している。
「レビの家の出のある男が、同じレビ人の娘をめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、3か月の間隠しておいた。しかし、もはや隠し切れなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた」(「出エジプト記」第2章1~3節)
つまり、最後の天皇陛下はレビ族であり、モーセの直系の末裔となる。だから、元の地エルサレムに、三種の神器と契約の聖櫃アークを戻さねばならないのである。そうせねば、「磐座」であるオリーブ山にイエス・キリストが降臨できない。最後の天皇陛下の使命は、世界を救う意味で極めて重要なものなのである。