(33)「出雲大社」の仕掛け
(下つ巻・第18帖 神は土で人を形づくり・・・)
「日月神示」が預言する「原始キリスト教」の組織は、高天原(神の国)へ通じる唯一の道で、人のために存在する神の組織である。この組織の日本の指導者を神が召す場合もあるが、普通の人も日々遜って働けば、いずれ相応しい指導者になれるし、その選びに対する差別があってはならない。神の組織がある世界中の国々でも同じで、神の組織は世界中の人々の元へ拡大していく。そのうちに絶対神から「土」が出てくる。その土を見たら、神が選ばれた人々にとって良い知らせとなるだろう。絶対神に心を向ければ、神から光を受けて人は必ず幸せになる。
(解釈資料)
救世主イエス・キリストが約束通りに地上へ再降臨する際、地に属するもっとも古い人間が先に降りてきて、地上を神に奉献する。その男こそ、最初の人間アダムである。アダムは「大天使ミカエル」として降りてくる。アダムの天使名がミカエルだからである。天界で悪魔の軍勢を打ち破った者がアダムとなり、地上に最初に生まれてきた最も古い者なのである。「天界の大戦争」について、記紀では天照大神と須佐之男の戦いで象徴される。記紀には仕掛けがいくつもあり、須佐之男は「聖書学」で言うサタンを象徴するが、一方で、「出雲大社」で祀られる大国主命の別名により、「大国主大神=大物主=須佐之男=ニギハヤヒ」が同一神となる。さらに、ニギハヤヒの本名は、天照大神なので、イエス・キリストと同じになる。だから、須佐之男は神として祀られているわけで、このあたりの仕掛けは複雑で奇奇怪怪である。しかし、須佐之男を含む八百万の神々が全て天照大神の分身と言う基本に沿えば、あとは神々の役割を聖書と対応させればいいだけである。
「須佐之男=悪魔」についてだが、記紀では須佐之男にその役を押し付けた分、それだけ天照大神と同一神にしてバランスを取ったことになる。事実、「出雲」は「出る雲」であり、これは「雲」が「出て」、「神」が出現する様子を描いた名称である。
「モーセは出て行って、主の言葉を民に告げた。彼は民の長老の中から70人を集め、幕屋の周りに立たせた。主は雲の内にあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、70人の長老にも授けられた」(「民数記」第11章24~25節)
「雲=神」の図式があり、「出雲大社」の本殿の天井に「八雲之図」が描かれている。大社造りの天井に描かれた極彩色の雲は、「八雲=8」のはずが「7」つの雲しか描かれない。カッバーラによれば、数字は陰陽出の偶数と奇数でなっており、「7・8」も陰陽一対になっている。須佐之男は高天原では悪神だが、地上に降りれば「八俣大蛇」を退治した英雄になってくる。
「我が女は本より八稚女ありしを、この高志の八俣のをろち年ごとに来て喫へり」(「古事記」八俣の大蛇)
ところが、八俣大蛇には根本的な矛盾がある。八俣は「八股」で、娘8人で帳尻が合うように思えるが、股の数8つは9本首を意味するはずである。ところが多くの場合、八俣大蛇は8本首になっている。実は、直方体や立方体の箱の角は8つで、それぞれの角が縦・横・高さの三股(三本)構造になる。
つまり、8つの三股で「八股」となる。さらに八俣大蛇の尻尾から出てきたのが「草薙の剣」で、アロンの杖も「契約の聖櫃アーク」に納められていた。
須佐之男が神殿で「生贄」をささげさせていた契約の聖櫃アーク(八岐大蛇)を退治した意味は、自らをささげたことで生贄を止めさせたイエス・キリストと対応している。
つまり、須佐之男に、善悪両方の役を怡演じさせた証拠が「7・8」併せ持つ「出雲大社」の仕掛けなのである。その前提としての「大国主命=須佐之男命」だが、八岐大蛇が須佐之男命との闘いに敗れたところが「出雲国」であることからも分かる。