(31)神と信者の関係を示す「石」
(下つ巻・第16帖 天子様を都に遷さなならん)
最高学府でいくら知識を学んでも、それが智慧にならなければ死んだ知識である。その知識も間違っていた場合は、世の中の役に立たない。そういう時は、神から導きを受けることである。神は求めれば与えてくださるが、拒絶を繰り返し続けた者は、自ら招いた結果を刈り取らねばならない。その時はいくら金銀を積んでも、神の導きを得ることはできない。
フリーメーソンは世界中の様々な宗教を信じる者が入会できる慈善団体である。しかし、預言者がおらず、神権も無い状態なので奥義を得られないでいる。だから正しい教会がフリーメーソンにそのことを伝え改宗させねばならない。
至福の「福千年」の世界は、千年間続く神の王国であるが、それが終わるころ、再び悪魔が放たれ、サタンにつく悪霊どもも出てくる。神の王国は日本だけに建つのではなく、異国にも沢山できるぞ。
富士山には川が無く地下水となって流れ下り、それが「富士山本宮浅間大社」の境内の池から清水となって湧き出している。自分の名前が書いてある石を拾ってくるとあるが、これらはすべて比喩である。富士山の湧水は富士市をはじめ各所から湧き出していて、「富士山本営浅間大社」だけに起きている現象ではない。これは、本来は、元初三神を祀る「伊勢神宮」を、三神山の「富士山」に引っ掛けた比喩で、富士山や伊勢神宮に行けない者も、そこから河のように流れる神の御霊を受け、己の名を信仰心と言う石に刻んでほしいということである。これから先、東京はどこも焼け野原になるだろう。天皇陛下を京都へ戻さねばならない事態に陥るだろう。やがて東京は復活し世界中から人々が訪れるようになる。しかし、その東京は以前の東京とは全く違っているだろう。
(解釈資料)
不死の絶対神と、信者の関係を示す石の事は「新約聖書」に記されている。
「耳有る者は霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受けるもののほかには誰にもわからね新しい名が記されている」(「ヨハネの黙示録」第2章17節)
その新しい名は、アジアで初めて建てられる神殿と言う「お山」で受け取ることができるだろう。この白い石の記述は記紀にも存在する。
崇神天皇の頃、朝鮮半島の「任那」の王子だった「角額有人」が、新羅の圧力を受けて渡来し、滞在3年目で朝鮮半島へ帰還する物語の中にある。
角額有人と天之日矛は、ともに牛に関わっていることで知られる「日本書記」には、その名前の由来が以下のように記されている。
「ある日、黄牛を見失った王子は、足跡を追って村に入った。そこであった古老が、「牛はすでに村人に食べられたから、村人とが弁償すると言っても聞くな。その時は神の御神体が欲しいと言いなさい」と言った。そこで王子は村人にそういうと、彼らは王子に御神体の白い石を差し出した。すると、やがて白石は可憐で美しい娘となった。ところが、白石の化身は東の海に消えたので、それを角額有人が追って渡来することになった。だが、結局その娘は、難破に下り、二つの社に祀られたという」 それが「伊勢神宮」の「お白石持行事」となって今でも伝えられている。
この項にある東京の姿が一変する記述は「両義預言」である。一つは終戦間際に焦土と化した事実と、これから先に起きる天皇陛下の都戻りに関わる「東京破壊」である。共に復興するも、後者の場合は、東京に天皇陛下はいない。京都では昔から天皇陛下を東京に貸していると考えてきた。ラストエンペラーは戻るべき京都に帰還することになる。そうなれば、宮内庁は宮内省に格上げされ、新しい陛下を追って京都に移ることになる。これは「首都機能の移転」を意味する。そうなれば、東京は今までも首都ではなくなる。東京の様相は一変するだろう。