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飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(30)

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(30)平安京は人型構造

(下つ巻・第15帖 「一二七七七七七」は2番目の者、イエス・キリスト)

 「日月神示」を記させる絶対神は唯一の存在だが、この神はさまざまに御霊分けをする神なので、日本では八百万の神々となり、それぞれ祀ることになった。中でも「鎮守様」は鎮守の森と祠さえあればいい神で、鳥居も無ければ注連縄も不要である。この神の事は後からわかる時が来るが、神の国に関わる役目を象徴している。「一二七七七七七」を忘れないようにせねばならない。やがて来る神の世の仕組みだからだ。

(解釈資料)

 「鎮守の森」は日本中にあった。中国の伽藍神に起源があり、日本に仏教が伝わり、平安時代以降に「神仏習合」が進む中、神祇でも祀られるようになり、寺以外の土地でも鎮守様を祀るようになったとされている。しかし、鎮守の森とは、仏教伝来以前の物部神道における「神奈備」と言う神が鎮座する森を差し、「神代・上代」ともいわれ「杜」「社叢」とも称された。物部神道は古神道ともいわれるが、御神体は「神籬」「磐座」信仰が常で、森林、山岳、巨石など神が宿る自然物が御神体になっている。最も知られるのが、「大神神社」の三輪山で、神霊の依り代とされる神社は各地にみられ、自然崇拝から本殿・拝殿さえない神域もある。明治以降、「神仏分離令」と共に「神社合祀令」が下され、集落村ごとに存在した鎮守の森は、その多くが廃され、大きな神社の摂社・末社となった。その結果、多くの神社が廃止され、鎮守の森も次々と伐採された。南方熊楠は、伐採による役人の裏金つくりや、大規模自然破壊を危惧し、神社合祀の反対運動を行って投獄されている。神奈備は「神南備」「神名火」「甘南備」とも表記され、「平安京遷都」のかなめになった山が「甘南備」だった。

 杉山信三氏は長年の発掘調査の結論として、平安京は長方形ではなく「奴形」の「人型構造」だったと公表した。これはアカデミズムの主張を否定したことになる。杉山氏の言う奴形とは、平安京の長方形の左右に奴凧のような腕が突き出している姿を言う。西端の西京極大路と中御門大路が交差する花園付近から西へ2升分、三条大路から西へ2升分突出し、その範囲に囲まれた計4升分が右京側の右腕部分となる。左京側の左腕は、東端の東京極大路と中御門大路が交差する辻から東へ4升分突出し、三条大路の東へ突き出した4升分で囲まれた計8升分となる。やはり、向って右側が左より長く飛び出している。興味深いのは奴形の右腕が秦氏の中心地の太秦を指すことである。

 生命の樹には、重要な表現形態がある。それが人型の「アダムカドモン」である。なぜかアダムカドモンは背中を向けた後ろ姿で表される。アダムカドモンは人類の始祖アダムを言う。(アダムの生命は大天使ミカエルである)

「神はご自分にかたどって人を創造された」(「創世記」第1章27節)

 言い換えれば、カッバーラで設計された平安京は、神の身姿をかたどった構造となる。そこで登場するのが人型構造のT字である。それは左右に両手を広げ、足を一つに組んだ姿で、神木を意味する生命の樹に掛けられた姿となる。それは奴形の姿で、京都の町自体が磔刑を象徴する構造になっている。

 さらに言えば、イエス・キリストをかけた十字架は、「T十字」であり、ロザリオのような「十字架」ではなかった。イエス・キリストは全人類の罪を背負う身代わりで死んでいく。これが贖罪である。日本では「人柱」と言う。平安京を発祥とする「雛人形」も、原型は紙で作ったT形の立雛である。その雛人形に、罪や厄を移して自分の身代わりとした。それが「流し雛」となる。

 一二七七七七七」とは、カッバーラの仕掛けである。「1+2+7+7+7+7+7」を足せば、「38」で、「3+8=11」となり、「1+1=2」となる。「2」は「一二三」の二なので、イエス・キリストが明らかにした神界構造から特定できる。一二三は「最初の者=天の父」「二番目の者=子(イエス・キリスト)」「三番目=聖霊」の三柱なので、来たるべき曙である神の王国の代は、その「2番目」の神の手による永久の世界となる。


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